インド

高校生の頃、「ねこぢる」のエッセイを読んでからというもの、いつか訪れたいと思っていた国。

初めてのインドは就職が決まったのは22歳の五回生のとき (1年留年しているから) このとき何を思ったのか往復チケットのみを購入して個人旅行を行った。

初めての個人旅行。 書籍などを購入して事前準備を行うが、バックパッカースタイルで旅行している人は周りにいないので不安だけが大きかった。 昔みたドラマの沢木耕太郎深夜特急やエッセイ漫画が頼りだが本当に自分にこれと似たような生き方ができるのだろうか

デリー

この当時、台湾でサーズが流行っていた。 台湾経由でインドのデリーに着く予定であったが、日本から台湾への飛行機はガラガラ。 数えるくらいの乗客しかいない。 もし台湾でサーズに感染したらマスコミに殺されることを考えると致し方ないのかな。 ところが台湾からインドへは満席になる。 これだけ台湾人がいると一人ぐらいサーズ保持者がいるのではないかと疑いたくなる。

デリーの空港には深夜に到着する。 入国審査で申請書を書いていると日本人男性から 「この申請書にあるこの単語、なんて意味かわかります?」 と聞かれたが、この当時、英語力0の私にわかるはずもなく、答えることができなかった。どこのホテルに泊まるのかと聞かれたのでガイドブックに記載されているドミトリーの宿に泊まる予定だと話した。 後で知ったのだが、その男性はそのあと、私と一緒になるためが、その宿に泊まっていたらしい。

ガイドブックの危険情報に夜のタクシーは危険と書いてあったので、 支持通り空港内で朝まで過ごすことにした。 周りを見渡すと男性一人女性一人ベンチに腰掛けているのが見える。 私を含めて3名が朝まで待機するようだ。さっき話しかけてきたお兄さんはいない。

あまりにも暇なので両替を行う。 一般的に空港内の両替はレートが悪いと言われているがそんなこと知らないバックパッカー処女の私は1万円でルピーを購入。 結構の厚さのお札がきた。枚数をちょろまかしていないか確認しようと数えるが、普段お札を数え慣れていないためぎこちない。 それを見かねた両替所の男性が代わりに数えてくれた。

朝までフロアーに横になって仮眠を取ろうとするが寝ている間に腰巻の貴重品が盗まれるのではないかと不安で眠ることができない。 今ならば空港内にコソ泥がいる確率は低いので平気で寝ることができるが、このときは全ての現地人が金銭を狙っているのではないかと疑っていた。

朝になり他の日本人二人と一緒に空港から出ることにした。 男性の方が高学歴らしく英語が堪能だ。以下、高学歴くんと呼ぶ。 女性は最近、ひとり旅を始めたばかりらしい。この子は神奈川出身なので以下、神奈川ちゃんと呼ぶ。

タクシーは悪徳旅行会社に連れて行かれて危険なのでバスで行くことに。 空港内で働いている人にバスはどこから出ているのか聞いてあっちだと言われていくと ある現地人がこれがバスだと話しかけてきた。 どうみてもバスではなくミニバンだ。個人タクシーだと思って、 私が「これは違うから」 「これはミニバスだ!」といって譲らない。 相手にするのも無駄なので無視して行くと、高学歴くんが 「さすがですね。自分だけだったら信じてそのまま乗ってました」 なんて純粋なのだろうか?基本他人を信じていないスタンスの私とは違うタイプなのだと思う。きっといい人なんだろうな。

騙されそうになった場所から少し歩くとバスがみえる。 コンポートプレースまでいくのか確認して乗車。 車窓から言える形式に高学歴くんは 「インドっぽい景色ですね」と興奮気味だ。 私はタイの風景にどことなく似てるなと思いながら車窓を眺めていた。

コンノートプレースに到着。 ここから安宿街のニューデリーへ歩いて移動。 高学歴くんが泊まる予定の宿に向かうがその間、現地人がものすごい勢いで話しかけてくる。なんてうざい国だ。

目的の宿につき、女性はシングルに、私と高学歴くんはダブルの部屋で一緒に寝泊まりすることになった。当時、500円しなかったと思う。インドとしては綺麗な方だ。

高学歴くんが鉄道のチケットを購入したいらしく駅に向かう。 チケットの購入場所は2階にある。 しかしそこに向かう階段に現地人の妨害にあう。登らせてくれない 今掃除中だからここは通れないと言っている。 どう見ても掃除をしていないのいったいなんなのだろうか? そうこうしている間にチケットを俺から買えという男性が現れる。 明らかにおかしいのでその人を無視し時間をおいて再び階段へいくと先ほど邪魔していた男性はいなくなり、外国人専用の窓口に行くことができた。 なんなんだこの国は。チケットを買うのにも一苦労だ。

食事をする。カレーしかない。 高学歴くんはカレーを食べるなり、スパイスが合わないといい、 それ以来、デリーにあるマック、KFCのみ食べるようになる。

高学歴くんがガイドブックに記載されている旅行会社に行きたいというのでついて行く。 私はこの後、ヴァラナシへ飛行機で行くことが決まっているためツアーは不要なことを伝えると。 旅行会社の人が 「ジャイプル、アーグラに行かないのはもったい」 となんとか私をツアーに申し込まさせようとしたが、神奈川ちゃんが断りの加勢してくれてその場を後にする。

オフィスを出て、ふらふら歩いていると空港で申し込み用紙の書き方について尋ねてきた男性と出逢う。日本ではフリーターをしているらしい。 飲食店に入りみんなでチャイを注文する。 生まれて初めて飲んでみたが激しく甘い。歯が溶けそうだ。 飲み終わった後、口が寂しいのかフリーターさんはテーブルの上にあった砂糖の入れ物から指で一つまみし、口を上にして指をこすりながら砂糖を口に流し込んでいた。 (絶対、糖尿病になるだろ) 兄がプログラマをしているらしく30までフラフラしてるよならば、プログラマにしてやると約束してくれているらしい。 この当時、超氷河期と言われており就職が難しかったため、日本では仕事をクビになったという理由で自殺する人が社会問題になっていたが、 フリーターさんいわく、 「インド旅すればそんな考え方をすることはなくなるから」 と旅の重要性を説いてくれた。 この当時私は学生だったし、初めての個人旅行だったので疑うこともなく、そういうもんなのかなという感じに聞いていた。

フリーターさんからいままで出会った旅行者ですごかった人の話を聞くと デリーの空港から真夜中、歩いて安宿街のニューデリーまできた女性がいたらしい。 あの距離を夜、歩いてくるなんて・・・。 今の私でもそんなことは怖くてできない。

このあと、宿に戻りベットに横になると気がついたら寝てしまって夜になっていた。 フリーターさんの泊まっているホテルに遊びに行く予定だったがもう21時なので諦めることにする。ニューデリーを夜歩くことに関してはそれほど問題はないのだがこのときは万が一のことを考えて夜、外出することはさけた。

この宿に泊まっているという日本人夫婦に出会う。 私がワラーナスへは”久美子ハウス”に泊まる予定だと伝えると 「あそこは汚いからやめた方がいい。フレンズが綺麗でいいよ」 と教えてくれた。夫婦で世界中を旅行しているらしい。 そんな人がいることに感動していた。

次の日、私のだけデリーからバラナシへ飛行機を使っていくことになっていた。 やっぱり手配した個人タクシーで空港まで向かう。 空港に着くとドライバーからチップをせがまれる。インドにはチップの習慣がないのでお礼だけ述べて空港に歩いて向かう。ホテルから空港に連れて行ってくれるかどうか心配だったが杞憂だった。海外のことをこのときの私はまったく信用していなかった。

バラナシ(ワラーナス)

昔はヴァラナシ(イギリス読み)といったが、いまは現地の発音を尊重してワラーナスと呼ぶらしい。 デリからバラナシ到着すると日本人青年にであった。 話をしてみると日本から参加者は彼1人でツアーを申し込んだらしい。 彼のバスに便乗させてくれるように地元のガイドをお願いしていると、どうも地元のガイドは嫌がっているように見える。 個人ツアーくんがいろいろ交渉しているがどうもらちがあかなさそうなので、 トゥクトゥクのおじさんが 「日本人宿まで連れていくよ」 と声をかけてきたのでその人についていき個人ツアーくんと別れる。

トゥクトゥクのドライバーがバイクを止めて学生ノートを取り出してきた。 そこには過去の日本人旅行者が書いたと思われる、このおじさんは信用できます的な内容が書いてある。 初めてのことなので意味がわからなかったがこのノートを見せることで信用を得ようとしているようだ。 私も行きたい宿にいってくれとお願いするが

「シャワー からでる水が汚いため病気になってこの前、日本人が死んだ」

と嘘ばっかり言ってドライバーの進める宿に連れて行くと言って聞かない。 バックパッカー処女の私はその言葉を信じビビりながらも ドライバーオススメの宿へ連れていってもらう。 この時は、今なら考えられないぐらい人のいうことを信じていた。

ついたところは普通の宿。 ちょっと値段が高かったのでそこから歩いて目的の宿「フレンズ」に向かう。 右も左も分からない異国の地で不安押しつぶされそうになりながら宿へ向かう。 もうこの時の気持ちは 「このまま異国の地で死ぬのでは」 と本気で思っていた。あの感覚は二度と経験したくない。 ガンジス川のほうに向かって歩いていくと川が見えてきた。 路地で遊んでいる子供たちに「フレンズという宿どこかと」尋ねるとあっちだと教えてくれた。野良犬が暑さで寝そべっている間を歩いてやっと見つけることができた。

ドミトリーの部屋が空いているか聞くと1つだけベットが空いていた。 この時の安堵感といったらなかった。 ちょっと前まで死を覚悟していたのだから。

その部屋には女性1人と数人男性が泊まっている。 さすが日本人宿だけあって日本人しかいない。 生まれて初めてのドミトリー。どういう態度をとっていのか分からずかなり初心者丸出しのつまらない人間に見えてしまったため経験値の高そうな旅人風情の人たちから見下されているのがわかる。

荷物おいて部屋を出てガンジス川に向かう。ヒンドゥー教の聖地。 「ここに”ねこぢる”がきたのか」 というような感慨深いものは期待していたほどなく、ガンジス川が流れている風景は別段美しいわけでもなく、私の心には何も響くものはなかった。 あれほど来たかった場所だったけれども来てみたら大したことないな。

火葬場にいくことにする。川沿いで火葬したあと、灰を川に流している。 焼け残った足を野良犬くわえている情景を漫画でみたことがあるが実際その場で行って思ったのは多分それは作り話。あったとしてもかなり確率的に低いじゃないかなっていうのが実際に行った者の感想である。

意味もなく火葬場に眺めていると現地のおじいさんから親族でないのだから、あの塔から見学するように促される。階段を上ってどうから眺めているとそのおじさんが100ルピー渡せと言いだしてきた。何を言っているのかわからず怖くなって逃げるようにその場を去って行った。

もう怖くて怖くてしょうがなくてそこらへんにいるインド人がすべて敵に見えた。 宿に戻り精神的にも肉体的にも疲れていたのでひたすら眠る。

夕方、同じ部屋の人たちとガンジス川をカヌーで遊覧する。 この写真に写ってるお姉さん、先日ガンジス川で泳いだら衛生状態の悪い水を少し飲んでしまったため、1週間ほど病気で寝込んでいた。 私はあんな汚い川、入る気にならない。ガイドブックではせっかく来たので沐浴を進めているがとてもそんな気にはなれなかった。

レモンラッシー

お昼みんなでラッシー(ヨーグルト)を飲みに行く。 とりあえずレモンラッシーを頼む。甘くておいしいのだけれども衛生状態が心配だ。 店はお世辞にもきれいとは言えない。でもインドは大体こんな感じ。

サルナート

仏教の聖地。 バラナシから10Kmほど。バイクタクシーを使って訪れた。 観光客は私たちだけだった。閑散としていて観光地っぽくない。

一緒の宿に泊まっていた男性が 「明日、アーグラに行くから一緒に行く?」 と誘ってくれた。 旅行者として頼りない私を見るにみかねて誘ってくれたんだと思う。 いい人だ。もし一人で移動していたらどうなっていたのだろう。

駅へ行き明日の電車のチケットを購入しにいく。 窓口で購入しようとしていると停電になった。 すぐに電気が復旧したがパソコンを再起動してチケットの発券。 インドでは一日に何度も停電が起こるがシステムのデータは大丈夫なのか心配になる。 なんとかチケットの購入ができた。

インドでは電車が遅れるのが当たり前。 下手すると半日ぐらい発車しなかったする。 次の日、アーグラへ行くため駅に訪れたが電車が定時刻で発車してしまって乗り遅れてしまった。 遅れるのが当たり前だと言うマインドが裏目に出た。 しょうがないので明日のチケットを再度購入した。

宿へ帰ると一緒の部屋だった女性から 「待ってたよ」 と嫌味を言われてしまった。

次の日、今度は遅れないように早めに出発する。前回はリキシャを使ったが今度はバイクタクシーだ。今度は乗り遅れなかった。そしてこの日も電車が定時に出発。夜行の寝台列車でアーグラへ向かう。

インドに来てから下痢にもならずにいたが、この電車の中で下痢になってしまった。 電車の中のトイレは汚く正直使いたくはないが致し方ない。

アーグラー

日本人6人でゾロゾロ移動。泊まるホテルが決まっているらしく私はそれについて行くだけだった。なんてホテルだか覚えていない。宿の人が100ルピーでバイクタクシーに乗せて街を案内してくれることになった。

この当時、デジタルカメラが発売されたばかりで現地の子供たちをデジカメで撮って、 その場で画像を見せると初めてみたようでとても喜んでいた。

タージマハル

現地人は安い入場料だが、外国人は別途外国人料金を取られる。 世界最高の建築物と言われているタージマハルですが私はあまり感動しませんでした。

アーグラ城

宿に帰るか具合が悪い。ゲリが止まらない。30毎にトイレに行くような有様だ。 宿の人が気を効かして薬を利用してくれた。 ヨーグルトに灰色の粉末が振りかけてある。この粉末の薬がまずくて半分残してしまった。

ところが一晩寝るとこの薬のおかげで具合がよくなった。 ところが下痢止めの効果もあったらしく便秘になってしまいこの後のインド旅行中、大便が全く出ないことに。 これが後々大問題になる。

そして電車でデリーに帰る。

再びデリーへ

デリー駅に到着。階段を降りるとき転んでしまった。 これまで嫌なインド人にあってイライラしていたため 「むかつく」と大声で叫んでしまった。一緒にいた日本人は、何も言わず歩き続けている。このとき、すべてのインド人が騙そうとしていると本気で思っていてインド人不信だった。

見慣れたニューデリーへ戻ってこれた。 もしみんなの助けがなくて一人だったらどうなっていたのだろう?

泊まる宿は決まっているようで、みんなの後についていく。 あと2泊すれば日本へ帰れる。早く帰りたい。 迷いながらも宿に到着。 案の定、一番安いドミトリー泊まる。 ベッドのシーツはたくさんのしみで汚い。 シャワールームもサビがひどく蛇口がサビていてシャワーを浴びた後、手が汚れる。

宿の前にお土産屋さんがあったのでシーツを購入。500円ぐらい。 現地の人に値段を聞いてみたらぼったくられてると教えてくれた。

宿の前に日本人女性がいたので話しかける。 一人で旅行しているようで、私たち日本人男性がゾロゾロチェックインするのをみて 「男はつるむよね」 となぜ海外に来てまで日本人と一緒にいるのか理解できないようだった。 このときはわからなかったけれど、今ならこの娘の気持ちがわかる。

外に行くのが怖くて昼間は宿の近くを1人でプラプラするぐらい基本何もしていない 同じ宿に泊まっているガチムチの日本人男性に話しかけられた。

このガチムチさんは1年以上海外を一人旅しており数日前アフガニスタンから帰ってきたばかりだという。 アフガニスタンはこの当時、白人はテロリストに殺されていたが 日本人をまだ誰も被害にあっていかなったためインドのアフガニスタン大使館に行くとピザがもらえ渡航できた。

アフガニスタンで撮影した写真をみせてもらい、そこがどれだけ綺麗だったか、 そして飯がまずく、英語が全く通じないなどいろいろ教えてもらった。

1年以上、旅し続けるという人に私いままで出会ったことがなかったので羨望の眼差しでこの人の話を聞いていた。 「それだけ行動力があれば日本に帰っても何でもできますね」 という私に対して淡々と

「何もできないよ。日本に帰ってこれから就職が決まっているあなたのほうがよっぽどすごいから」

その時は何を言っているのかわからなかった。 謙遜かとも思ったが今の私なら彼の言いたいことがわかる

"旅をしても何も変わらない”ということを

次の日の夜の便で日本に帰国。 ホテルで用意してもらったミニバンに乗り込み、空港に連れていってもらう。 その時、ヴァラナシから一緒に行動していた男性からプレゼントに植物のタネをくれた。 絶対に関税で問題になるだろと思い、空港に降りる際にミニバンにおいていった。

空港に到着すると日本人女性に話しかけられる。

彼女はインドで日本人を始めてみたらしく、それで話しかけてきてようだ。 ヴァラナシにもいたらしいがずっと外国人ばかりだったそうだ。

病気

帰国してから大変だった。 インドで飲んだ下痢止めのせいで体内にウィルスが蔓延してしまったらしく 強烈に具合が悪い。 夜は苦しくて眠れずいままで経験のないレベルの苦しさだ。 サーズだったらどうしようという不安が頭をよぎる。 とりあえず近所の病院にいくも看護婦さんがサーズの疑いがある私に近づこうとしない。 医者の診察を受けるとサーズではないらしく抗生物質をもらって飲む。 飲んだ直後の1時間は楽になるのだがそれ以降は全く効かない。さすがインドの菌は違います。 三日三晩死にそうになりながら家で過ごし、なんとか回復。 あんな思いをするのはこりごりです。 下痢になったらとりあえず体が菌を排出しようとしているのだから無理に止めてはいけないということを学んだ。それにしても文字通り死ぬほどきつい授業料だった。

服装

ビルケンのサンダルに靴下。 この当時は変だと指摘されましたが快適です。

汗は乾燥しているのですぐに乾きます。