インド(二回目)

IT留学するために、7年ぶりに訪れたインド。 初めて来たときは、英語ができなく、旅行者としては経験値が低かったが今は違う。 もう余裕しゃくしゃくで旅することができた。

デリー

7年前、初めての個人旅行で訪れたインド。 あのビビりまくっていたころが懐かしい。 日本から直行便で日中に到着。前回は夜中に到着したのでまったく別の場所に見える。 10ドルほど両替をしてバスでコンノートプレイスへ行く。

なんとなく見覚えがあるが全く記憶にない。過去に一度きているはずなのに。

運転手からコンノートプレースだといわれ下車する。 ニューデリーへ歩いて行くと現地人に声をかけられ旅行会社へ連れて行こうとするが、無視すると 「そんなことしていると刑務所にぶち込むぞ!」と英語で言われ頭にきて口論になった。 相手もすぐに引いてくれたからよかった。あっちだって反抗するような面倒なのは相手にしたくないだろう。

歩いて行くと右手に見慣れたニューデリー駅が見えてきた。 確かに昔、ここにいたな。左手にはニューデリーの通りがみえる。 とりあえずガイドブックに記載されている宿に行く。 お世辞にも綺麗とは言えない部屋。面倒なのでここに決める。

携帯電話

インドで就職活動を始めるために必要な携帯電話。宿の隣でsimカードを購入してオーストラリアで購入したNokiaへ装着してくれた。 通話ができるように30ドル分購入。これで通話ができる。 インドの携帯はかかってきても「かけた」・「かけられた」両名に通話料金が発生するので気をつける必要がある。これを知らずにインドで知り合った現地人からの電話で会話していたらあっというまに30ドル分使い切ってしまった。なんであっちの人はあんなに電話が好きなんだろう。お金の使い方が変

ツアー

現地ツアーを申し込む。バスに乗るとインド人ばかりだ。添乗員の女性は英語で説明してくれる。日本人は私ひとり。

クトゥブミナール、インド門

ツアーに行ったことを宿のオーナーに話していたら

「なんでうちで申し込まなかったんだ、うちの方が安いし、ミニバンでクーラーがないから健康的なのに。バスはクーラーで体調崩すからよくないんだ」

とクーラーがないことをメリットとして強調する論理に感心した。物は言いようだな。さすがインド人だ。論理を感じる。

ジャイプル

ピンクシティと呼ばれており、建物が淡いピンク色にみえるところ。 観光するところはたくさんあるのだが、お金をケチって街をフラフラして終了

ジョードプル

こちらはブルーシティ。城壁に囲まれた街。 帽子、サングラス、マスク、日傘という怪しい出で立ち出歩いていると、ごついカメラを持った現地人に 「写真をとっていいか?」 と声をかけられる。 ただとるだけではなく、 「ちょっとそこからこっちに歩いてみて」 など色々と指示されて不思議に思っていた。

次の日、街を歩いていると 「おい、おまえ新聞に載ってるぞ」 と新聞を見せてもらうと昨日撮影した写真が掲載されている。 現地の言葉がわからないのでなんて書いてあるのか説明してもらう ”インドを旅行している日本人は暑さ対策のためこんな不思議な格好している” という内容のようだ。この日は会う人会う人「新聞に載ってただろ?」と声をかけられてちょっとした有名人だった。

ジャイサルメール

ジャイサルメール駅からバイクタクシーでホテルに向かうも違うホテルに連れて行かれた。とりあえず部屋を見せてもらうが、宿代の交渉の前に、 「サファリツアーに参加するのか?この値段だ」 と高圧的な態度でとんでもない値段をふっかけてきた。 「たかすぎる、っていうかなんでこのホテルに連れてきたんだよ、ガイドブックに書いてあるここに連れていけ」 というがバイクタクシーはいうことを聞かない。 そのうちホテル内で従業員が三人ほどいたが私がツアーに申し込まない様子をみて 異様な空気感になった。 けれどもそんなのを無視してそこから歩いて目的のホテルに行く。

街を歩いていると革製品のバックを作っている工房を見つけた。 ラクダの皮で作られているがこれで3000円ぐらいならまぁお土産にいいかなという感じだ。話を聞くと、日本の京都に卸しているらしい。 ここと契約して日本で物販とか考えてみるが結局、行動せず。今考えるとメールアドレスぐらい聞いておくんだった。

キャメルサファリ

初日の悪徳ホテルで提示されたキャメルサファリの料金は明らかにぼったくり。 1万円以上を要求された。一泊二日でラクダで回るコースを申し込み。 車で砂漠まで行って途中、ラクダに乗り換える。初めて乗るが結構高い。 一日中座っているのでお尻が痛い。日差しも強いので日傘をさしながらラクダに載っていた。 途中、ご飯だといわれガイドがそこらへんに落ちている枝を拾い出して火をつけてカレーを作る。風が強くて砂がカレーに入りじゃりじゃりする。 これを食べ続ける現地人は砂が排出できず体内で石になると言われている。

砂漠にある村をおとずれる。子供達が貝殻の化石をみせてくる。 どうも売りつけたいらしい。この場所は昔、海のそこに位置していたのだろう。 砂漠に位置する村にも関わらず、何か買うものがあるかと尋ねると、カメからコーラが出てきた。冷蔵庫ではないけれど、ちょっと冷えている。一日中、炎天下の中いたためこれほどうまいと思ったコーラはない。

砂漠というとサラサラの砂のイメージがあるがそんなのは一部でほとんどは ゴツゴツした石が転がっていて、多少植物があるようなところばかりだ。 なぜか孔雀がいておどろいた。あれは砂漠の生き物だったのか。

オアシスに寄るといってついたところは濁った水が溜まっているだけのところ。 ガイドはそれをそのまま手ですくって飲み出した。 あの水を飲むのか・・・。

夕方、目的の砂丘につく。サンセットをまつ。 その間、なにもすることもないが足元を見るとフンコロガシがフンを転がしているのを眺めていた。

夜、砂丘にはガイドと私の二人だけだ。女性が一人参加で問題が起こると言われているが確かにこの状況は危険だな。布に包まって寝るが朝、暴風で砂が耳に入る。 不快で寝ることができないので隣にいたガイドを見ると毛布を顔まで被って防いでいるようだ。なるほど、早速真似する。これは快適だ。

感想は、一泊二日は長すぎる。ジープでちょちょっと行ってしまった方がいいです。 一週間のツアーがあるらしいですが、苦行以外のなにものでもありません。 これ、まじでしんどい。

ウダイプル

ホテル:タージレイクパレスがピチョーラー湖に浮かぶ、のは雨季のみ。 乾季に訪れたために湖は干上がっており干ばつ地帯にホテルが建っているように見える。 現地人に聞いたらみんな水をガブガブ飲むから干上がってしまうといっていた。

アーメダバード

アーダラジの階段井戸がみたくて訪れる。 昔、図書館にあったDVDでみてから気になっていた。 井戸水を汲むために階段状なっており水位に影響しない設計になっているだけではなく、 古代建築の美しさの点においてもある宗教の聖地にある寺院といわれてもおかしくないぐらいのレベル。

アジャンター

映像でみると絶対に行こうと思わせてくれる「アジャンター遺跡群」。 でも経験から映像写りのよい遺跡は実物をみると 「あれっ?」 というのがお約束。アジャンター遺跡群も期待に違わず映像の方がすばらしかった。

旅行者を食い物にしている現地人がガイドを申し出て金をせびろうとしている。 近くにいた白人に 「どこに国だ?」 「イスラエル」 なにもいわず退散する現地人。イスラエルと言っただけでお金にならないことを判断して逃げていった。イスラエル人が羨ましい。

ムンバイ

映画:クイズミリオネアが放映される前に舞台になったスラムを知らずにふらふらしていた。歯を磨く木の枝を束で売っているおじさんがいたので試して見たくてコインを渡して一本だけもらう。宿でこれで歯を磨いていたら嬉しかったのか従業員がチャイをおごってくれた。

ドービーガード

広大な野外洗濯場。機械化が進んでいる現代でも手洗いでシーツを下に叩きつけるようにあらっている。はたから見ても重労働なのがわかる。 中に入って見たかったが法外な見学料を請求されるなど面倒なことなるらしいので外から眺めていた。他では見られない珍しい光景だ。

タージマハル・ホテル

夜に訪れるとホテルがライトアップされて下品なくらいキラキラしている。

ゴア

ヒッピーの聖地。昔は毎晩パーティーで盛り上がっていたらしいが、今は有名になってしまってそれほどでもないそうだ。というのもモンスーンの6〜9月は人が少なくガラガラ。その時に訪れたためゴアのよさを堪能できないで過ごす。 ビーチに行くが海も綺麗ではない。 ふらふらしていると現地人から 「あそこに日本人がいるからこっちこい」 といわれていくと日本人女性がいる。でもどうもなんか一人で話しかけづらいから 「いや、いいよ、ありがとう」 といってその場を離れたら先ほどの女性が話しかけてきた。 この人の職業が変わっていて、スピリチュアル系のマッサージ師。 学生の頃、セラピスト系を学んでおりそのときから異端児として名を馳せていたらしい。 で、無料でやってもらったんだけれども、正直、う~ん、なんだろう、適当な占いですね。こうゆう需要があるのは知っているのですが。

パーティーはモンスーンのときは行われていないらしく、今度は繁栄期に期待と思います。

コルカタ

その昔、あまりの汚さにカルチャーショックを受けるといわれていたコルカタ。 サダルストリートは浮浪者が溢れていたといわれていたが今はその面影もない。

マザーテレサハウス

ボランティアができることで有名。日本人旅行者でも結構行く人が多いが、ボランティア慣れしすぎていてお金を請求されたり、孤児の世話をしても横柄な態度を取られて頭にくるといっていた日本人男性がいたが世話を受ける側が常に人格者でありがたく世話をされるわけではないのだ。

ビルラープラネタリウム

席に座っていると左隣の男性の貧乏ゆすりがすごくてジェスチャーでやめてくれと頼む。 プラネタリウムが終わると右隣にいた英語が堪能な現地の子供達が 「つまらないプレゼンテーションだったね」 と話しかけられた。その後、野外に出るまで雑談。母親と一緒にきているようだが、そちらは英語が話せないようだ。

レストラン

中華料理を食べていたら,皿になにやら昆虫らしき物体が。 よくみてみるとちいさなゴキブリだった。 もうほとんど食べてしまってから気づく。 日本だったらそこでたべるのをやめるところだが自分でもおどろくことに たべ続けたのだ。店員に皿を見せながら ”ゴキブリがはいっている” と文句を言うが、代金を2割ほどまけただけで ”次から気をつけるから” といって無料にしてくれなかった。 日本だったら無料なのだろうけれども、ここはインドだ。

ラダック

デリーからバスで行くことも可能なのだが冬のため積雪で空路でいくことに。 現地の旅行会社にいき片道チケットを購入しようとするが、店員から 「カシミールがすばらしいからそちらにいくべきだ」 「いや、でも紛争がよくおこるところでしょ?」 「最近は、紛争が起こってないから大丈夫」 「う〜ん、でもガイドブックに情報がないんだよね」 というやり取りをしてラダック行きのチケットを購入。 そしてこのあと、この判断が正しかったことに感謝する。もしカシミールに行っていたら

飛行機からラダックへ向かう途中、窓から見えるカラコルム山脈。 いくつもの山脈が層のように連なっている。これを昔の人は歩いて渡ってきただろうか。

1時間半ほどでラダックの空港につくと日本人男性に話しかけられる。 一緒に街までタクシーで行くことに。 まずはご飯。彼は、インドの大学院に通っている。日本のエージェントを通してなので結構な金額がかかっているそうだ。大学院の授業は英語で行われるが英語力が低いため講義の内容が理解できず無駄な時間を過ごしているように感じていると話してくれた。 周りにも日本人は彼ともう一人なのであまり楽しくないようだ、 そうやって考えるとフィジーでたくさんに日本人がいるというのは気の合う人と合う確率も上がるし授業がつまらなくても遊んでいればいいのでフィジーのように日本人が多い方がいいのかなという気もしてくる。

彼はガイドブックのロンリープラネットを持っていた。カシミールの情報が載っていたので印刷屋に行き印刷してもらうが、子供が間違って印刷してそれを指摘すると再度、印刷してくれたが、間違って印刷した分までお金の請求をしてきた。いや、それお前のミスだろ、と思うが疲れていたためか払ってしまった。

ラダックは標高3000M。なんだか調子が悪いなと思っていたがどうも高山病にかかったようだ。二日間ぐらいこの街でだらだらすることにした。

体力が回復したのでカシミール行きのバスを宿のオーナーに聞くと 「お前、ニュース見てないのか?昨日、銃撃戦が起こってバスは全部中止だ」 なんということでしょう。もしデリーからカシミール行きのチケットを購入、もしくは高山病にかからずバスで入っていたら内戦に巻き込まれていたことになる。 高山病もきっと何かの計らいで起こったことに違いない。 この経験から流されて生きる術を学ぶ。

カシミールにはいけないのでゴンパ(チベット寺院)をみるためにバスのチケットを買いに行く。バスが止まっているので聞いてみると値段がカシミールに行く値段と変わらない。途中下車するのだから、と言っても聞かない。外国人料金と思われるが、このバスしか方法がないのであちらも強気だ。しょうがないので相手の言い値で購入。

次の日、バスに乗り込む。走っている途中で停車するたびに乗車してくるが明らかに定員オーバー。通路にみんな座っている。先日、カシミールで内戦が起こったばかりなので、私が乗車しているバスで自爆テロが起こったらどうしようと心配してみるが、杞憂に終わった。

ラマユル・ゴンパ

宿の近くで祭りが行われている。 現地の老婦人はヤギの毛のついた皮を羽織るのがここの民族衣装っぽい。 かっこいい。 ほしい。 でも確実に税関で没収されそうな感じがする。

宿に戻ると食事を作ってくれた。 火をたくのに牛の乾燥したフンを素手で掴んで暖炉に投げ入れているが、その手で野菜を切り出し料理しているのはさすがに辟易した。 とはいえ、おいしくたべ、お代わりしましたけれどね。 料理をしていたおばあちゃん、私が宿泊客だからやさしくしてくれるのだが、すぐ近くにいる孫?の女の子にはきつくあたり、あれを取ってこい、あれをしろと横柄な態度を取っていて、ちょっと見ていて嫌な気分になった。あれは孫ではないな。

庭に井戸水?が蛇口から出っ放しになっている。高山地帯で水は貴重なのでなんでこんな無駄なことをしているのか不思議だったが、冬は水を出し続けないと凍ってしまい使えな行くならからだそうだ。う〜ん、水が貴重なのに凍らせないために無駄にする。この矛盾をなんとかしたいな。

次の日、ゴンパに向かうためミニバンに乗る。 チベット文化がチベットよりも残っていると言われているラダック地方。 チベットは中国に支配されてもはや壊滅状態だと言われている。 ゴンパを一通り見学して、帰りのバスがどこからでているのか教えてもらった後、 「ペン」 とひとこと。日本からいらないペンを大量に持ってきていたのでそれを一本あげることにした。

ブッダガヤー

仏教の聖地。 白人の修行僧は目立つ。ここは日本語学校があるため、日本語で話しかけられ不快な経験をすることがあるが、まぁ、インドはどこもそんなものだとあきらめましょう。

周りには寄付を募る団体が多いため、子供達のために学校をという名目で寄付を求められるが、本当にその寄付が正しく使われるのか心配。寄付しないで出て行ったら、 「バカな日本人!」と大声で叫ばれた。

マハボディー寺院以外には別段みるものはない。 ブッダガヤーからガヤー駅までバイクタクシーを利用しようとすると、祭りのため大渋滞。 乗車料金も祭りのため特別料金になっており、そんなのを払うのは癪なので、歩いていった。その距離16Km。バックパック背負ってはきついね。

プリー

インドの沈没地帯として有名なところ。そんなに居心地がいいのかと期待していたが、私の趣味ではなかった。海はそんなに綺麗ではないし、みるものも別段ない。 ヒンドゥー教の巡礼地のため、怪しい団子状の食べ物が店先に売っていたりするが、怖くて食べることができない。

宿にいるとオーナーから同じ宿に住んでいるドイツ人などを紹介されるが目がおかしい。 どうもドラッグのやりすぎで気力がなくなっているようだ。さすがプリー。 あまり長居したくないな。

車海老を出してくれる飲食店にいく。食べて見たがどうも冷凍保存しているようで、あまり美味しくない。インドの物価指数からいってもけっして安くない食事だっただけに残念だ。