お遍路 別格20霊場 2日目

2019/4/29

メディカルを使ってコンビニでカフェラテを購入

マシンの使い方分からず適当にやっていたらカフェラテではなくアイスコーヒーができてしまった

店員さんからは”新しいのに変えましょうか?

さすがにそれは悪いので断った

第三番 慈眼寺(じげんじ)

JR徳島駅から勝浦方面田野々行バスにて「横瀬中」下車、そこから横瀬タクシーで寺まで約30

だが横瀬中から進んだところにバスが10:51に出る

2時間あるので寝袋に入ってねていた

体を壊さないためだ

バスに乗り目的地で降りる際,運転手さんから

この道は険しいから道路ぞいにあるいたほうがいいですよ

とアドバイスをもらう

降りてグーグルマップで調べると時間がかかりそうだ

アドバイスを無視して山道をいくことにした

登っていくと人気はないが民家が見える

こんな所に住んでいるのか?

車がないと大変だ

ガイドブックには山で迷ったと記載してあるが確かにわかりづらい

山道は整備されておらず,道なき道を歩く羽目に

これほどとは

目印は赤いリボンだけがたよりだ

しかし私は視力が悪いのでどこにリボンがあるのかわからない

後ろから”シャーキーン”と聞きなれない音がした

落ち葉が舞,みてみるとカニバサミだ

もし罠にかかっていたらと思うと血の気が引いた

これは,下山するべきか?

いや,怖いけれど上を目指すことに

どうやら道を外れてしまったようだ

今は4月

狩猟期ではないが,罠には関係がない

”くるんじゃなかった”と何かがあるたびに思う

家で引きこもっている方が安全。ワインが趣味とかもっと軽いものがいいと感じずにはいられない,こんな考えになるのは屋久島以来だ

精神を罠がないか確認のために使い

山に入るときは朝飯を食べないことにしているけど

それは集中力が高まるためだ

北海道のハンターもクマをやるときはおちゃだけだといっていた

その気持ちがよくわかる

なんとか寺まで到着

精神的に疲れた。

雨も降ってきた

この寺,洞窟があるらしく

88箇所を回っていたときに夫婦に聞いた場所だと思い出す

でも3000円の入場料

高いし汚れるらしいのでやめた

本堂?太子堂が長い坂を登っていかなくてはならない

大変だけどいい雰囲気の寺である

このあとタクシー(3270円)で帰ることに

罠が怖い

横瀬まで戻ると女性二人がバス停にいる

”勝浦まで行きますか?”

勝浦にゴミを出さない村があるらしくそこを見学したいそうだ

上勝町のゼロ・ウェイストアカデミー

二人はオーストラリアの語学学校で出会ったらしく一人は現地人と結婚して

もう一人は東京で看護師

彼女たちと会話してバスがこないことがわかるとタクシーで行ってしまった

雨で体が冷えるため歯がガチガチなる

ちゃんとした登山用具で来るべきだった。体が冷える。

野宿なんかしたら死んでしまうな

バスに乗り小松島駅まで行く620円

近くに5,400円の旅館に泊まる

玄関にはホワイトタイガーのでかいぬいぐるみが置いてあってセンスが悪いなーっていうのが第一印象

お風呂ができていたので冷えた体を温める

 コンビニで買ったパンばかり食べてるため体調よくない

旅館は大体Wi-Fiが繋がらないから嫌だ

 

お遍路 別格20霊場 1日目

2019/4/28

東京からスカイマークで神戸まで(17000円)

神戸空港の案内所にいた女性にバスが出ているか尋ねるが

関西なのでかなりなまっている。

バスを待っている間,ペニーボードで練習。

そこからバス(3500円)で徳島。座席指定なのに一番後ろのトイレのある席に座れと言われる。なんで?

夜につくが寒い。野宿は無理だ。

GWなのでアグネスホテル(8000円)の宿に泊まる

商店街で鳩のふんが肩に落ちてきた

幸先のいいスタートである

松屋で牛丼を食べる

時給が1200円で東京と買われないことにびっくり。

四国は仕事がないはずでは

4月28日 

朝から徳島駅より3番線から鍛冶屋原徳島バスへ乗車し「神宅」下車(600円)

 

第一番 大山寺(たいさんじ)

 

へ向かう

坂道を歩き,農家をみながら移動

山道を歩くもそんなにきつくないが

山のうえにある

バンが細い道を通るのを横目にしている

帰りはスケボーで座って降りようとするが小さすぎて安定感がない

後ろから車が来ていたが路面が悪く気がつかなかった

春なので花が綺麗だ

 

第二番 童学寺(どうがくじ)

徳島駅より徳島バス鴨島行、池田行など)にて「石井警察署前」下車、徒歩35分

とのことだがバスの本数が少なく徳島まで戻ると時間が無駄なため

歩いていくことに

途中,中高年の男性に話しかけると88箇所を回っているとのこと

”あ〜,別格は2回まわったけど大変だよね?”

大変なんだ・・・

四国の川は綺麗だ。

車が一台した通れない橋を渡る。(なぜ幅をもっと広く作らないのだろうか?)

それから3時間ほどあるいて到着

きれいなところだ

大きな溜め池,ツツジの花,庭園がすばらしい

白い門にはいたずら書きが・・・

ここは別格と他にも2つほどXX霊場8番目など

属しているようだ

石井駅まで行き徳島へ帰ることにする

駅で神奈川からきた中年男性と話をする

自転車で逆打ちをしているそうだ

もうすぐ終わるらしい

3年半かかったといっていた

長期の休みがとれないのだろう

彼は宿が空いてないのでネットカフェにいるらしい

電車が来たのでここで別れる

石井駅から徳島駅まで260円(特急もあるが560円で高いからやめた)

電車に乗ると白人男性二人が乗ってきた

最近,外国人のお遍路が多いらしい

徳島駅につき,観光案内所でネットカフェについて聞くと

みんな潰れたそうだ

一泊3300円の桜荘を紹介してもらう

徳島駅から徒歩5分の立地。格安

洗濯も無料だった

みんなここに長期滞在しているとのこと

ただwifiはあるが繋がらない。

youtubeに動画がアップできずじまい

洗面台,トイレ,お風呂は共同。

こうゆうのが汚いと感じて嫌な人はたくさんいるそうだ

私はなれてしまっている

夜食を食べに外に出る

相変わらず並んでいるラーメン屋に遭遇

10年前に来た時も行列だった。そんなにうまいのだろうか・・・

洋食屋さんに入り,ミックス定食を頼む。ハンバーグがつなぎが多すぎていまいちだが他はまぁまぁいける

店から出るとホームレスに話しかけられる

1ヶ月前にホームレスになり食べるのに困っているそう

おごってくれといわれるが新手の詐欺かと思って話を聞いていた

メルカリペイで11円でコーヒーが飲めるのでそれでいいか?

と聞くと,

”公園で水道があるのでたべものがいいです”とことわられてしまった

 

初日終了

オーストラリア(ワーキングホリデー)

ワーキングホリデー制度を知ったのは、GWにベトナムを旅行していたときに、泊まっていた日本人宿で出会った日本人。

話を聞くと英語ができなくても選ばなければ仕事を得ることができると聞いて それまでワーキングホリデーの制度は知っていたが、英語ができなくても問題ないとは思いもしなかった。

で、その話を聞いてからいつかワーキングホリデーで海外生活を夢いていましたが、思ったよりも始めるまでに時間がかかりました。

海外で生活することをリスクと考えていたため、そこに行くまでに行ったことは ・3ヶ月ヨーローッパを旅する ・3ヶ月東南アジアを旅する ・3ヶ月フィジーの語学学校に行く

と9ヶ月以上の準備をかけてしまいました。 個人的には、半年海外で旅行していれば英語がペラペラになると思っていたのですが、 どうにもならず、とりあえず語学留学をしてみたかったので、そこでみっちり勉強しました。(フィジーについてはそのうち書きます)

ワーキングホリデービザ

年齢制限30歳までで期間は1年間。 就労も学生もできるマルチビザ的な存在。 3ヶ月農家で働くと1年延長できるため最長2年間滞在が可能。 延長する際はWEBで登録する。 1週間程度で許可がおりるが パスポート番号、名前の入力ミスをすると許可されないので注意。 ワーホリメーカーの間では 「10人に1人の割合で延長ビザの結果が返ってこない」 の噂が広まっているが システム開発経験者から言わせればそれはない。 入力ミスによる”精査”の段階で止まってしまっているだけと思われる。 入力は慎重に。

銀行口座

英語に自信がない人は、日本人のいる支社にいくとスムーズ。 ケアンズなど日本人がたくさんいる場所には必ず日本人スタッフが常駐しています。 普通講座のsavingアカウントを作りましょう。 仕事をしたらここに振り込まれるか、現金でもらったらATMに入れることで現金を持ち歩かなくてすみます。オーストラリアはカード社会なのでみんな財布には20ドルぐらいしかはいっていないです。何を買うにもデビットカード払い。

気をつけることは、銀行によっては残高0でも引き落としができてしまうこと。 借金なので金利がつき大変なことになるので、残高確認は常に行いましょう。

バックパッカーズホテル

大都市であれば、ドミトリーと言われる相部屋が一番安い。 トイレ、シャワー、キッチンは共同なので色々な国の人と交流することができるが、 冷蔵庫から食べ物の盗難は頻発するので気をつけましょう。

シェアハウス

長く一つの都市に滞在するならばシェアハウスがおすすめ。 バックパッカーズホテルと値段が変わらずシドニーなどの大都市だと無料のお米が付いてきます。また、高層マンションを週160ドルぐらいで借りれるため地下にあるスポーツジムなども使い放題です。ただし法律上、五人以内で住む部屋を十二人押し込めて生活することになるので狭いです。 また数ヶ月に一度、本当のオーナーから住んでいる人の検査が入ります。 どうゆうことかといいますと部屋のオーナーが韓国人に貸し出してその韓国人が十二人に部屋を貸して利益をあげているのです。 伝わるかな?。その手法で生活をしている有名な日本人女性がセツコ。 通称セツコハウスと呼ばれています。私は噂しか聞いたことがなく、お会いしたことがありません。

問題点は、水道管が壊れたりすると本来ならばオーナーが支払うべきものが住居者に支払いを請求されること。極端な話、入居して一週間で配管が壊れたら壊した人が払うことになったりします。ずっと〜使って壊れたのに、ババ抜きのように最後に引いた人が払うシステムは不公平な感じがしますが、違法に住んでいるためどうしても立場が弱いです。 そうなったらそこから逃げればいいと思うかもしれませんが、日本と同じように敷金をとられているのでどっちに転んでもお金を払うことになります。

あと同じ人種、もしくはアジア人同士(韓国、台湾、中国、東南アジア)だとシェアハウスはうまく機能するのですが、白人などがはいってくると途端におかしなことになります。DNAが根本的に違うのだと思います。夜中に騒ぎだす。ギターを弾きだす。 ドラッグをやる。女性を連れ込んで周りを気にせずにセックスするなど。 ですからよくアジア系募集と人種指定のシェアハウスもありますが理由はこうゆうことなのだと思います。

シドニー

フィジーで語学学校&ホームステイを3ヶ月間。そのままオーストラリアのシドニーへ飛びます。シドニーについて宿探し。ガイドブックになるドミトリーに泊まります。 どうやって仕事を探せばいいのかわからず街をウロウロすると、想像以上に日本食レストランがある。みてみると日本人も働いている。

海外で仕事をみつけるという経験は生まれて初めて。 日に日に宿代、食費代でお金が減っていく恐怖。 「魔女の宅急便」の序盤で主人公の女の子が知らない土地で職を探すシーンがありますが、みるたびにこの時のことを思い出して涙が出そうになります。

日本人に向けた情報雑誌を見つける。そこに今、日本で起こっていることやオーストラリアに住んでいる日本人のコラムなどが掲載されているが、その中に求人広告があった。 内容は農作業を行う代わりに宿泊、食費は無料というものだ。 何も知らない私はこんなものだと思い、とりあえず宿の電話を借りて連絡してみる。 電話口には日本人女性。たぶん、現地の農作業をしている男性と結婚しているのだと推測する。明日にでも働きたい旨を伝えると、まだピッキングの季節ではないらしく、1ヶ月以上先だといわれた。そんなに待てないので他をあたることに。 どうも農業は季節によって労働者を必要としているようだ。

次に、電話したのはビリスベンの近くの農場。ここも日本人が仕切ってるっぽい。 電話すると、日本人女性が明日からでも大丈夫といわれて、そこに行くことに。

シドニーについてまだいくばくも経っていないがブリスベンに行くことにした。 さてこのブリスベンシドニーから飛行機、電車、バスと色々な方法でいけるのだが、 料金的にはどれもそれほどかわらないため、時間のかからない飛行機を使うのが懸命なのだが、車窓からみえる景色を堪能したいために電車を選択した。 周りからはなぜに?といわれたが、あとから考えると大した景色ではなかったし、めちゃくちゃ時間がかかるし、それからは飛行機を使うことになる。 ちなみに安い飛行機はヴァージンエアーです。ネットで購入しましょう。

ブリスベン

なんてことはないただのオフィス街。 とりあえず農場へ行くために一泊する。 宿の張り紙に「寝袋の使用禁止」とある。 オーストラリアはダニ対策のためにこの手のルールがあるが実際、その程度のルールで守れるほど単純ではない。どこの宿にも虫には悩まされる。

宿には共同キッチンが備え付けられているため、食事はスーパーで購入して作るのが安上がりだ。外食は日本と違って高すぎる。 スーパーで安いのはコールス、ウールワース。 ここにいくと、見覚えのある女性に遭遇した。 フィジーの語学学校で一緒だった韓国人女性のミンだ。 たしかブリスベンに質の高い語学学校があるからそこに行くとは言っていたような気がする。いまも通っているのか聞くとどうも学校を辞めてしまったらしい。 恥ずかしがり屋で人前で英語を話すことができない彼女には荷が重いのだろう。 私がいまからファームへいってお金を稼いでくる旨を伝えると

「私も行きたい!そっちについたらファームの状況を教えてね。学校を辞めて返金してもらったお金でノートPCを買ったからいつでもメールチェックできるから。学校へはフィジーにいる彼氏がこっちにきたら再度、入校するの。その間、暇なんだよね」 「ファームに行きたいならなんで調べなかったの?」 「調べかたがわかんない」 「学校辞めてから何してたの?」 「何もしてない」

会話のあと一緒に写真を撮って別れる。 予想通り学校辞めてたんだな。いい学校と言っていたけれど、人前で会話するのが苦手な人はどこの語学学校にいってもダメな気がする。

どこかのファーム1

ブリスベンからバスで到着。電話するとゆかさんが迎えに来てくれた。 そのまま、作業場所へ移動。 シェッドと呼ばれる家内で野菜をゴムで束にする仕事だ。 見渡すと日本人が20人ばかりいる。 なんだここは? ワーホリ処女はみんな仕事を得る方法がわからないから日本人がいるところに集まってこうなってしまうようだ。なんてことだ。くるんじゃなかった。 作業中は日本語が飛びかっていて、なんのために海外生活を送ろうとしているのかわからない。 休憩になり韓国人男性が一人いることがわかった。日本語を話すのはしゃくなので その韓国人と会話することにする。

作業が終わりミニバンに 宿は手配しておくと言われていたのですが、なんと手違いで泊まるところがないそうだ。ユカさんの住んでいる部屋のリビングを借りる。 宿泊代を払おうとするが手配のミスなので断られる。 この家には他にも日本人のワーホリメーカが宿泊しているようだ。 女性しかいない。台所には各々が農場でもらって来た野菜があり、好きに食べていいと言われる。ミニトマトをいただく、甘くて美味しい。

次の日、同じ場所で野菜をゴムでまとめる作業。 いったい時給いくらかわからず、でき払い。チームで稼いだ分を人数で分ける仕組みのようだ。 その日の作業が終わり、あいかわらず日本人と仲良くしなかった。 それが問題だったと思うのだが、ユカさんから 「仕事を紹介できないから、アブラハムのところに行ってもらえる?」 と二日目でクビをいいわたされる。 ワーホリ処女の私は、ユカさんから色々と教えてもらい、 とりあえず携帯電話を購入したほうがよいとアドバイスをもらう。 この当時、ボーダーフォンとノキアが2大巨頭で、金銭的に安いのはノキア。 一番安い、59ドルのちゃっちいのを購入した。

クビになってしまったからには家に泊まるわけにもいかず 当初、泊まる予定だったところが空いたため移動する。 宿だと思って場所は、 なんということでしょう〜 そこは、キャンピングカーがたくさん止まっていて、その中で宿泊するスタイルだったのです。

部屋?、いやキャンピングカーに入ると、ガチムチ韓国人男性がいる。 英語は得意ではないようだが、ものすごく性格が良さそうだ。 名前はチェソー。 いまは、冬のためあまり農作業はないらしく、今日は休みだと言っていた。

キャンピングカーに備え付けられている台所の水を飲むがまずい。 沸騰させてもどうにもならなかった。 トイレ、シャワーは外の共同。冬の夜は10度を切るため用をたすのも苦行だ。

さて、ユカさんからおしえてもらったアブラハムの電話番号へかけてみる。 「朝6時に宿の前に集まれ。日本人がいっぱいいるからすぐにわかる」 と英語で指示される。

次の日、指定の場所に行くと確かに日本人の団体がいる。 アラブ系の男性がお前はこのミニバンに乗れと指示する。 まるで日本のドヤ街の日雇い労働者と同じやり方だ。

私と男性二人がシェッドの前で降ろされる。 この二人は知り合いのようだ。 作業内容は野菜を洗い、それをパックする。 三人とも初めての作業で慣れていないため作業効率が悪い。 冬の水作業は寒い。隣に韓国人男性二人が作業してるが慣れているようで大量に作業をこなして行く。

いったいこの作業が時給いくらなのか、それとも出来高なのかわからずの作業。 たぶん、出来高だな。 黙々とつまらない作業を延々と行う。いつまでやればいいのだろうか? 途中、休憩を取るが他の二人もなんでこんな仕事しなくてはならないのか不満そうで空気が重い。

8時間の労働が終わり、ミニバンの迎えが来た。 「この作業、キツイかったから賃金をあげてくれ」と一緒に働いていた男性が交渉していた。見習わなくては。

次の日、まだ日も出ていないため、あたりは真っ黒の寒い中、いつもの場所に集まる。 せっかく来たのに、今日はもう人がいらないからと帰っていいと言われた。 今日は仕事なしだ。他の人は仕事をもらえたのに。

次の日、仕事にありつけるがネギの収穫。 これは出来高らしいが、素人が働いてもいくらにもならないらしい。 日本人の間ではボランティアワークと呼ばれていた。 あたりを見渡すと黒人の数が多い。話してみるとルワンダからの難民らしい。 あの虐殺のあったところか。 「フツ族ツチ族のどちらなんだ?」 と今思い返してみると人格が疑われる質問を投げかけてしまったが答えてくれなかった。

トマトピッキングの作業を割り当てられた。 各々が手でトマトをもぎってバケツに入れるのだが、トマトが赤すぎると店頭に並ぶ際にすでに腐ってしまうから、多少青みがかったものを収穫する用意言われたり、大きさが小さいと文句を言われたりとうるさい。 とにかく”トマトはうるさい”ので気持ちよく作業できない。 日本人七人に黒人一人のチームで作業していたが、慣れている黒人はと途中で仕事をしなくなってしまった。それはそうだ、出来高払いで作業して八人で分割するのだ。 慣れている人からしたらなんで作業効率の悪い人と一緒に仕事をしないといけないのか、と不満になるに決まっている。

ある日、じゃがいもの収穫にいく。 機械で掘り起こしたじゃがいもを手で拾ってバケツに入れて行く。 作業の遅い台湾人女性がいたのだがそれをみてある日本人男性が 「あのこ、作業遅いんだけど」 と悪口を言っていた。気分悪いな。 その男性が私を日本人出ないと勘違いしていたらしく目の前で悪口を言われた。 日本語を話さないでいたためこんなことになったのだろう。

そんな作業をしているうちに一週間以上が経過した。 週に一度給料がもらえる。 その場所に行くと外国人労働者の長蛇の列が。 用紙に銀行口座を記入し、数日後に入金されるらしい。 入金額は微々たるものだ。時給換算したら3ドルぐらい。なんだこれは?

部屋には新しい住人のケンタが入って来た。 日本でAVビデオ屋で働いていたという。韓国でAVの動画編集をしていたという韓国人とAVビデオの話で盛り上がっていた。 「S1」「あおいそら」という単語が出てくるが私にはさっぱりだ。

ケンタが北のほうに時給のいい仕事があるといい、そこに行くという。 彼はさきに行き、仕事がありそうだったら連絡してくれる手はずになった。

さて、それまでこの日本人ばかりの悲惨なところで作業を続けなければならない。 何が嫌かと言うと、古株の日本人が威張っていること、そして海外にいるのになぜ日本人と一緒に作業しなくてはならないのだ。これでは日本で作業しているのとなんら変わらない。

ケンタが出て行ったので、次に入ってきたのは福岡出身の大学生。 休学中らしい。 この福岡くん、チェソーのPCを毎晩借りてずっ〜とドラマ、映画を見ている。 チェソーは人がいいのでNOと言えないのだが、ある日、PCに入っている動画を全て削除してしまった。これで福岡くんはチェソーからPCを借りる必要がなくなったわけだ。 いや〜、この子、サイコパスだな。同じ部屋だけれども関わるのやめよ。

さて、ケンタから連絡が来て仕事があるから来いといわれた。 じゃぁ、行ってくるからとチェソーに言うと、 「おれは連れて行ってくれないのか?」 と寂しそうに言われてしまった。

どこかのファーム2

仕事があるということでケンタのいる場所に行く。 着いたら、あるはずの仕事がドイツ人女性2人組みとられてしまい、 いきなり出鼻くじかれた。

やることもなくホテルでずっとテレビを見てる 2、3日すると仕事があるといわれて参加することに。 作業内容はパイナップルの種植え。 「車の免許を持っているか?」とファーマーが訪ねて来た。 「持っているけれど」と返事をするとトラクターに乗せられる。 ひたすら広大な土地をまっすぐ走らせるよんしされその白いのっているサマがパイナップルのたねを植えていくのだ。 トラクターをまっすぐ走らせるだけなので楽だ。 「トラクターの運転嫌いなんだよね。ほら眠くなるじゃん。気がついたら隣の街までいってそうで」とファーマーが運転を自分でやらない理由を教えてくれた。

時給18ドル。今までのあの低い時給で日本人と一緒に馬車馬のように働かされていたあれは何だったんだろうか。 やっぱり白人と一緒に文化の違いを楽しみながら働いて楽に稼ぐのが1番だな。 これがしたくてオーストラリアに来たのだ。

ケアンズ

ケアンズの印象は日本人がめちゃくちゃいる。 オーストラリア銀行の支店には日本人の銀行員がおり、すべて日本語で銀行口座の開設ができる。

また、ここにいる日本人は英語を一切使わない生活できることに誇りを持っているようなおかしなことに価値観があるらしい。なんてところだ。

パース

ワーホリメーカーの憧れはローカルの職場で働くこと。 ローカルとは、現地のマクドナルドなどの日本人が幅を効かせていない環境のこと。 一般的にワーホリメーカーは日本人レストランなどで働い日本語を使って生活することになってしまう。 そんな生活を脱したいと思っているが英語はそんな簡単に話せるようになるわけではなく、不本意だが致し方なく日本人コミュニティーに属しているのだ。

噂ではパースでは、対して英語を話せなくてもローカルで仕事を得ることができると言われている。実際に訪れてみたがそんな印象は受けなかった。

街につき、駅に近い宿に泊まる。 日本人男性がフリアコで清掃作業に従事していた。 どうやってその仕事を得たのか聞いてみると宿泊していた時に頼んだという。

日本人旅行会社へ行く。 そこには求人の張り紙が貼ってあるが、よさげなものはない。 ここには毎日のようにくるようになる。

パースで一番安い台湾人宿へ移動することにした。 ここがダニで痒くて仕方ない。ひどいところなのだがなんだかんだで半年ぐらいここで暮らすことになる。台湾人は日本人からすると他の国籍と比べて仲良くなりやすい。 あと女の子もかわいい。

ネットで仕事を探しているとトローリーボーイの仕事を見つけた。 ショッピングモールで駐車場に散らばったショッピングカートを集める作業だ。 電話してみると英語で「美恵子に聞いてみるよ」と言われる。 美恵子さんが何者かわからないが、仕事の斡旋か何かしているのだろう。 美恵子さんから電話が来て、仕事を得る。 週に二日。 150ドル。 宿代が週に140ドルなので10ドルの食費で生活することになる。

トローリーボーイ

筋肉質な韓国人男性がここを管理しているようだ。 一人イケメンの華奢な日本人男性がいてホストクラブにいそうな感じ。 この手のタイプは体が細いけれど根性あって喧嘩が強そうだ。昔の知り合いによく似ている。

ひたすらショッピングカートを集めて行く。なんで白人はカートを店に戻さないのだろうか?日本人だったら元に戻すのに。 どうもこの手の単純作業は気が狂いそうになる。 つまらない。 いつも早く時間が来ないかとそんなことばかり考えていた。 イケメン君は、ものすごい勢いでカートを集めている。 さっさと終わらせて休憩してを繰り返しているようだ。 この仕事をもう8ヶ月もやっているそうだ。 こんな仕事を8ヶ月も・・・、と失礼なことを言ってしまい気にしたのか彼はすぐにこの仕事をやめてしまった。悪いことしたな。

宿に新しい日本人男性が来た。バイクでアフリカを横断して来たそうだ。 でも英語は全然できない。なんという行動力。船でバイクを積んで検疫のためにバイクの泥を除去するのにお金がかかったそうだ。 なかなか興味深い男だ。

この仕事をしている最中、なんと父親が胆管がんにかかっていることが判明。 今すぐ帰らなくてはと思いとりあえずタイまでのチケットを購入する。 仕事はアフリカバイク君に引き継いだ。 タイへ行き、そこから日本へ行こうとするが母親からまだ大丈夫だから帰って来なくていいと言われる。 なのでタイからバリ島へ行き、その後、ゴールドコーストへ戻った。

ゴールドコースト

宿にあった安っぽいサーフボード、ボディーボードを借りるが全く波に乗れない。 ロングボートで波に乗れないって絶対にこのボードに問題があるとしか思えない。 あまりにもサーフィンが下手なので、ライフセーバーのお兄さんが私のことを注意して見ている。まぁ、泳げないし明らかに水害に合いそうですからね。

どうもこうゆうキャピキャピしたリゾート地は苦手だ。仕事を求めてダーウィン

ダーウィン

英語力、スキルの乏しいワーホリメーカーにとって農作業が主な収入源だが、冬は収穫の時期ではないため仕事がない。 ダーウィンはオーストラリアの北に位置し赤道に近いため冬でも温暖なところだ。 ここならば仕事があるだろうと訪れてみると、みんな考えていることは同じで仕事を求める外国人労働者で溢れていた。 求人雑誌をみても仕事がたくさんあるわけでもなく、その少ない中で、英語圏出身のイギリス、ニュージランド人と争うのは分が悪い。 どうしようかと考え、なんとなくシドニーに呼ばれている気がしたので飛行機のチケットを購入する。ダーウィンの思い出は数日だけ街をフラフラしただけだ。

再びシドニー

韓国人宿に泊まる。ここが一番安いらしい。 まわりは韓国人ばかりだが日本人もちらほら。 ニュージーランド人男性がいたが彼は日本語ペラペラ。 日本食レストランで働いているらしい。 日本人エージェントに合いに行く。仕事を紹介してもらう予定なのだが、不景気で現地人が賃金の安い日本食レストランで働いていると教えてくれた。 普段、何を食べてどんな生活をしているのか話すと、エージェントがあまりにも貧しい生活をしていると同情してくれて、(私にとっては普通なんですけれども・・・) バナナをもらう。 そして、まだ秘密なんだけれどもと前置きして治験の仕事があることを教えてくれた。 開始は1ヶ月以上あとだ。それまでシドニーで待機。

さて治験が始まるまで何をしていたかというと、

・図書館に行き日本語の本を借りる ・日本語の古本屋(シドニーには2件ある)で英語のテキストを購入して勉強 ・教会へ行き、キリスト教について英語で学ぶ ・無料の語学学校へ行く(見習い教師による授業は無料で受講できる)

とりあえず、毎日が暇だ。暇に耐えられず仕事をしている人も多い。 韓国人宿に泊まっていたが、シェアハウスへ移動する。 安宿と値段は変わらないし、シェアハウスでは無料で米の提供がある。それを考えればそっちの方が安い。

治験が始まる前に身体に異常がないか検査。 結構みんなこれで落とされる。私はパスして週に2泊3日で病院に泊まる。 参加人数は日本人男性五人。病院ではDVDを見たり、テレビゲームをしたりと雑談したりと楽しい時間を過ごした。これを4週繰り返して2000ドルもらえる。

モルモン教

教会で英語の授業が無料で受けられる。毎日お世話になっていたのがモルモン教キリスト教の一種なのだが、経典が旧新約聖書ともう一つジーザズについて詳しく記載されていると「モルモン書」が存在する。そのためキリスト教の中でも異端的な存在だ。 教会側としては英語の授業の題材にはキリスト的な内容を使って布教活動を行うのが目的。モルモン教からすれば自分たちの存在をアピールできる、日本人は英語を学べるとwin-win な関係が築ける。 でもみんな入信する気がないので途中で来なくなってしまう。宗教に関わりたくないのが本音なのだ。そんな中、私は宗教に興味があったので色々勉強して話を咲かせていた。 「そんなに詳しいのになぜ入信しないのか?」 と言われたが、信じてないからに決まっている。 それにここの宗教に入ったら年収の1割を献上しないといけないのだ。冗談ではない。 みんなアメリカ、スペインなどから2年間のボランティアで来ている。 18〜20代前半の若者たちばかりだ。そういえばみんな男性ばかりだったけれどなぜだろう? みんな若いので宗教的に深い話ができないので退屈していた。 一人だけここではスティーブンが賢かったのでよく話していたが、その人がいなくなってからは面白くないのでもう行かなくなってしまった。

白人の嫉妬

基本的に白人は単純労働でキビキビ動くことができないので相対的にアジア系のほうが作業が早い。 あるとき美人のドイツ人女性クリスティーンと一緒に農作業をしていた。 彼女はパッションフルーツピッキング、というかパッションフルーツは熟すると地面に落ちるのでそれを拾ってバケツに入れる仕事をしていた。

私はというとパイナップルのタネをもぎ取る仕事。これがきつい。パイナップルの葉は鋭く尖っているので防護メガネ、防護手袋が必須である。 どれぐらい鋭いかというとジーンズが切れるぐらい鋭い。 で、最初、ファーマーはゴム手袋を渡して作業させようとしたがゴムではこの鋭さに対応できず痛くてやる気にならない。ファーマーは小さい頃からこの作業を行っているらしく手の平の皮が硬化しており素手で作業していた。 きっと一般人の手の皮の暑さがわからないのであろう。 私はここにくる前のファームで厚手の手袋の存在を知っていたのでそれを購入して 作業をしていたので今までこのファームに来た人の中で一番作業効率が高かったらしい。 ファーマーが私だけ”時給を上げる”と言ってくれた。 そうクリスティーナが近くにいるところで。

その夜、クリスティーナがレセプションに大声で何かを言っている。 どうも私だけ給料が上がるのが気に入らないらしい。 私が黄色人種だからなのか、それともクリスティーナとあまり仲くしていなかったからなのかわからないが納得いかないようだ。

その件があり結局、私の時給は上がらなかった。 なんてことだ。言ったもん勝ちだな。日本人なら考えられないような行動をしてくる。

総括

ワーホリを通して英語ができるようになるか? という質問に対してはその人次第であり、努力したところで英語ができるようにならないということだ。 いままで海外在住の高学歴、例えばアメリカへ留学し、会計士の資格を取り英語を使って何年も生活している女性と話していたが、やはり英語はわからないと嘆いていた。 英語が難しいのは日本語と言語体系が違いすぎるから。 英語を話せる日本人がたまにいますが、それは前世が英語圏だったとか、言語的才能があるということでしかないです。

ワーホリで面白おかしく生活したいと言う人ならばおすすめですが、 なにか高尚な思想を持っているならばあまり期待しない方がいいです。 ワーホリやっている日本人の質は低いですし、もし英語力があったりスキルがあれば 正規留学、外資系に就職など違うアプローチができるからです。 ローカルのレストラン、農場、工場で働いたとしても現地の低学歴層と一緒に働くことになります。そうゆう人と一緒に過ごしていると気がつかないうちに自分もその層に取り込まれてしまいます。

じゃ、いかなければよかったと後悔しているかというとそんなことはなく、行かなかったら行かなかったで 「ワーホリをすれば英語ができるようになるのではないのか?」 「自分を変えられるのではないのか?」 という仮説を捨てられずに過ごしてしまうからです。

とりあえず先の仮説が間違っていることがわかっただけでも儲けもの。 こうやって仮説を立てて実践し続けていきます。

インド(IT留学)

インドになんとなく留学してみたいと思っていた。 でもどうすればいいのかわからず、オーストラリア滞在中に大学で情報を集めてみたりしたものの情報らしい情報はまったく手に入らず。 ネットで調べると日本のエージェントを通すと留学できるようだが、費用として100万円以上かかる。インドの物価指数で考えるとありえない。

ニュージーランドに滞在していたとき、繁華街をフラフラしていると布教活動をしているインド人女性に声をかけられたので、ちょっと質問してみた。

「インドにIT留学したいんだけれど、どうすればいいか知ってる?」 「インドには学校がいっぱいあるから誰でも入校できるよ」 「その後、インドで仕事したいんだけど?」 「日本人のコネクションを持ちたいインド人はいっぱいいるからすぐに就職できると思うけれど」

どうやら行ってしまえばなんとかなるようだ。 日本へ帰国しそれでもインド留学について調べて見る。 日本のエージェントを通して留学した男性のブログを発見しメールを出してみた。 すぐに返事が来て「メールだと面倒なのでここに電話してください」との簡素な一文が添えてある。

日本に帰国したばかりで携帯を所持していなくて父親の携帯を借りて電話する。 まだ彼は仕事中だったらしく、掛け直してくれることになった。 数分後、電話にでて留学について話を聞く。内容をまとめると

IT系の学校はたくさんあるから簡単に留学できる ・就職活動はwebサイトの「monster」で行う

ニュージーランドで出会ったインド人女性の言っていたことは本当だったんだ。 あとはビザとチケットを用意すれば日本での準備は完了だ。

バンガロール

IT系の学校がたくさんあるとは聞いているが、どこにあるのか全くわからない。 日本にいたときインドのIT学校へメールを送ったがどれも届いていないらしく返事がない。

しょうがないので旅行しようと思い、デイー、ジャイプル、を周っているうちに ある宿で学生のインド人男性がたくさん泊まっていた。 話を聞くとインターンシップをしているそうだ。

「どっかいいITの学校はないか」 と尋ねたらいくつかの学校を紙に書いて渡してくれた。 他のインド人学生にその紙を見せると 「まぁここがいいんじゃない?入学試験もないし」 ということでインドのシリコンバレーと呼ばれているバンガロールにあるNIITへ行くことにした。

NIIT

この学校がバンガロールにあるのはわかっているが詳しい場所が分からない。 道行く人に聞くが誰も知らないようだ。 目についた大学の校内に入って学生に聞く。 そこにいた大学生全員が 「あっちだ」 と指をさして教えてくれるところはすぐ隣の建物だった。

建物に入り入学したい旨を伝えると担当の若い女性が説明してくれた。 「明日から授業が始まるから2万ルピーをもってきて」 「今すぐ?用意できるけれど、そもそも私はマルチビザなのだけれど大丈夫なの?」 「大丈夫」 ということで2万ルピーを両替してきた。 契約書を読むが、いまいち何を書いてるのかわからない。 担当の女性へ質問するがめんどくさそうに 「とりあえずサインしろ」 といわれて、サインしてしまった。 まあこの後、問題はなかったんだけども。

次の日、授業内容の説明をされる。 このコースは「99days」と呼ばれ3ヶ月で単位を取得できるものだ。 インドの就職活動ではコースを受講することで得られる単位数 が重要になる。 例えばプログラミングコースだけ受講すると2単位だけもらえる。

ある企業の採用基準が6単位以上なら、 プログラミング(2単位) データベース(2単位) ネットワーク(2単位) と3科目以上、受講しなければならない。 これはインド国内でしか通用しないので日本に帰っても何の意味がない。

外国人の生徒は、私以外にモンゴル人が2人だけだった。 その2人は親がインドに赴任しており、もうすぐモンゴルに帰るので就職のためにこの学校にきたそうだ。

とりあえずインド人はよくしゃべる。 教師から技術的な質問をされるとみんな1分以上話し出す。 わからないといって発言しなかったのは私とモンゴル人だけだった。

授業

前職がIT企業だったため初日のJavaの授業が楽勝だった。 何日か授業を受けているとあることに気がついた。 教師は毎回30分ぐらい遅れて授業始める。 1コマ90分だが実質60分ぐらいしか授業をやっていない。 なのに誰も文句言わない。 まぁ考えてみれば日本の大学もそんなものかしれない。 授業の終了が1分でも遅れるとみんな文句を言い出すのはまいった。 なんでこんなにやる気がないんだろう。

ある日、学校へ行くと教師から「宿題をやってきたか」と質問。 ほとんどの生徒はやってきていないようだ。 そしたらこの時間に宿題を忘れていってその日の授業がなくなってしまった。 バス代と時間の無駄だ。

週に5日の授業のはずが実質2日しか行われなかったりする。 また政情が不安定で戒厳令が発令されると町全体の機能がストップしてバス、車、お店がすべて停止する。

あと1ヶ月、授業残っていたのだけれども、いつ授業が再開されるのかわからない。 そしてやる気のない生徒、もう知っている知識を英語で学んでも時間の無駄なので意味がないと判断し学校に行くのをやめて、旅を再開した。

あれほど経験したかったインド留学。 あまりたいしたことなかった。 学校では日本人は自分一人だけ。留学する人ならば誰もが憧れる生活。 唯一の日本人なので学校で私のこと知らないものは誰もいない 有名人だからみんな仲良くしてくれる。 なのに 日本語の全くない生活は想像以上にストレスで、宿で日本語で独り言しゃべるくらい精神的に参ってしまった。

これでやりたいこととりあえず経験したので、このあと日本に帰り就職活動を始めることにした。

そして、今に至る

インド(二回目)

IT留学するために、7年ぶりに訪れたインド。 初めて来たときは、英語ができなく、旅行者としては経験値が低かったが今は違う。 もう余裕しゃくしゃくで旅することができた。

デリー

7年前、初めての個人旅行で訪れたインド。 あのビビりまくっていたころが懐かしい。 日本から直行便で日中に到着。前回は夜中に到着したのでまったく別の場所に見える。 10ドルほど両替をしてバスでコンノートプレイスへ行く。

なんとなく見覚えがあるが全く記憶にない。過去に一度きているはずなのに。

運転手からコンノートプレースだといわれ下車する。 ニューデリーへ歩いて行くと現地人に声をかけられ旅行会社へ連れて行こうとするが、無視すると 「そんなことしていると刑務所にぶち込むぞ!」と英語で言われ頭にきて口論になった。 相手もすぐに引いてくれたからよかった。あっちだって反抗するような面倒なのは相手にしたくないだろう。

歩いて行くと右手に見慣れたニューデリー駅が見えてきた。 確かに昔、ここにいたな。左手にはニューデリーの通りがみえる。 とりあえずガイドブックに記載されている宿に行く。 お世辞にも綺麗とは言えない部屋。面倒なのでここに決める。

携帯電話

インドで就職活動を始めるために必要な携帯電話。宿の隣でsimカードを購入してオーストラリアで購入したNokiaへ装着してくれた。 通話ができるように30ドル分購入。これで通話ができる。 インドの携帯はかかってきても「かけた」・「かけられた」両名に通話料金が発生するので気をつける必要がある。これを知らずにインドで知り合った現地人からの電話で会話していたらあっというまに30ドル分使い切ってしまった。なんであっちの人はあんなに電話が好きなんだろう。お金の使い方が変

ツアー

現地ツアーを申し込む。バスに乗るとインド人ばかりだ。添乗員の女性は英語で説明してくれる。日本人は私ひとり。

クトゥブミナール、インド門

ツアーに行ったことを宿のオーナーに話していたら

「なんでうちで申し込まなかったんだ、うちの方が安いし、ミニバンでクーラーがないから健康的なのに。バスはクーラーで体調崩すからよくないんだ」

とクーラーがないことをメリットとして強調する論理に感心した。物は言いようだな。さすがインド人だ。論理を感じる。

ジャイプル

ピンクシティと呼ばれており、建物が淡いピンク色にみえるところ。 観光するところはたくさんあるのだが、お金をケチって街をフラフラして終了

ジョードプル

こちらはブルーシティ。城壁に囲まれた街。 帽子、サングラス、マスク、日傘という怪しい出で立ち出歩いていると、ごついカメラを持った現地人に 「写真をとっていいか?」 と声をかけられる。 ただとるだけではなく、 「ちょっとそこからこっちに歩いてみて」 など色々と指示されて不思議に思っていた。

次の日、街を歩いていると 「おい、おまえ新聞に載ってるぞ」 と新聞を見せてもらうと昨日撮影した写真が掲載されている。 現地の言葉がわからないのでなんて書いてあるのか説明してもらう ”インドを旅行している日本人は暑さ対策のためこんな不思議な格好している” という内容のようだ。この日は会う人会う人「新聞に載ってただろ?」と声をかけられてちょっとした有名人だった。

ジャイサルメール

ジャイサルメール駅からバイクタクシーでホテルに向かうも違うホテルに連れて行かれた。とりあえず部屋を見せてもらうが、宿代の交渉の前に、 「サファリツアーに参加するのか?この値段だ」 と高圧的な態度でとんでもない値段をふっかけてきた。 「たかすぎる、っていうかなんでこのホテルに連れてきたんだよ、ガイドブックに書いてあるここに連れていけ」 というがバイクタクシーはいうことを聞かない。 そのうちホテル内で従業員が三人ほどいたが私がツアーに申し込まない様子をみて 異様な空気感になった。 けれどもそんなのを無視してそこから歩いて目的のホテルに行く。

街を歩いていると革製品のバックを作っている工房を見つけた。 ラクダの皮で作られているがこれで3000円ぐらいならまぁお土産にいいかなという感じだ。話を聞くと、日本の京都に卸しているらしい。 ここと契約して日本で物販とか考えてみるが結局、行動せず。今考えるとメールアドレスぐらい聞いておくんだった。

キャメルサファリ

初日の悪徳ホテルで提示されたキャメルサファリの料金は明らかにぼったくり。 1万円以上を要求された。一泊二日でラクダで回るコースを申し込み。 車で砂漠まで行って途中、ラクダに乗り換える。初めて乗るが結構高い。 一日中座っているのでお尻が痛い。日差しも強いので日傘をさしながらラクダに載っていた。 途中、ご飯だといわれガイドがそこらへんに落ちている枝を拾い出して火をつけてカレーを作る。風が強くて砂がカレーに入りじゃりじゃりする。 これを食べ続ける現地人は砂が排出できず体内で石になると言われている。

砂漠にある村をおとずれる。子供達が貝殻の化石をみせてくる。 どうも売りつけたいらしい。この場所は昔、海のそこに位置していたのだろう。 砂漠に位置する村にも関わらず、何か買うものがあるかと尋ねると、カメからコーラが出てきた。冷蔵庫ではないけれど、ちょっと冷えている。一日中、炎天下の中いたためこれほどうまいと思ったコーラはない。

砂漠というとサラサラの砂のイメージがあるがそんなのは一部でほとんどは ゴツゴツした石が転がっていて、多少植物があるようなところばかりだ。 なぜか孔雀がいておどろいた。あれは砂漠の生き物だったのか。

オアシスに寄るといってついたところは濁った水が溜まっているだけのところ。 ガイドはそれをそのまま手ですくって飲み出した。 あの水を飲むのか・・・。

夕方、目的の砂丘につく。サンセットをまつ。 その間、なにもすることもないが足元を見るとフンコロガシがフンを転がしているのを眺めていた。

夜、砂丘にはガイドと私の二人だけだ。女性が一人参加で問題が起こると言われているが確かにこの状況は危険だな。布に包まって寝るが朝、暴風で砂が耳に入る。 不快で寝ることができないので隣にいたガイドを見ると毛布を顔まで被って防いでいるようだ。なるほど、早速真似する。これは快適だ。

感想は、一泊二日は長すぎる。ジープでちょちょっと行ってしまった方がいいです。 一週間のツアーがあるらしいですが、苦行以外のなにものでもありません。 これ、まじでしんどい。

ウダイプル

ホテル:タージレイクパレスがピチョーラー湖に浮かぶ、のは雨季のみ。 乾季に訪れたために湖は干上がっており干ばつ地帯にホテルが建っているように見える。 現地人に聞いたらみんな水をガブガブ飲むから干上がってしまうといっていた。

アーメダバード

アーダラジの階段井戸がみたくて訪れる。 昔、図書館にあったDVDでみてから気になっていた。 井戸水を汲むために階段状なっており水位に影響しない設計になっているだけではなく、 古代建築の美しさの点においてもある宗教の聖地にある寺院といわれてもおかしくないぐらいのレベル。

アジャンター

映像でみると絶対に行こうと思わせてくれる「アジャンター遺跡群」。 でも経験から映像写りのよい遺跡は実物をみると 「あれっ?」 というのがお約束。アジャンター遺跡群も期待に違わず映像の方がすばらしかった。

旅行者を食い物にしている現地人がガイドを申し出て金をせびろうとしている。 近くにいた白人に 「どこに国だ?」 「イスラエル」 なにもいわず退散する現地人。イスラエルと言っただけでお金にならないことを判断して逃げていった。イスラエル人が羨ましい。

ムンバイ

映画:クイズミリオネアが放映される前に舞台になったスラムを知らずにふらふらしていた。歯を磨く木の枝を束で売っているおじさんがいたので試して見たくてコインを渡して一本だけもらう。宿でこれで歯を磨いていたら嬉しかったのか従業員がチャイをおごってくれた。

ドービーガード

広大な野外洗濯場。機械化が進んでいる現代でも手洗いでシーツを下に叩きつけるようにあらっている。はたから見ても重労働なのがわかる。 中に入って見たかったが法外な見学料を請求されるなど面倒なことなるらしいので外から眺めていた。他では見られない珍しい光景だ。

タージマハル・ホテル

夜に訪れるとホテルがライトアップされて下品なくらいキラキラしている。

ゴア

ヒッピーの聖地。昔は毎晩パーティーで盛り上がっていたらしいが、今は有名になってしまってそれほどでもないそうだ。というのもモンスーンの6〜9月は人が少なくガラガラ。その時に訪れたためゴアのよさを堪能できないで過ごす。 ビーチに行くが海も綺麗ではない。 ふらふらしていると現地人から 「あそこに日本人がいるからこっちこい」 といわれていくと日本人女性がいる。でもどうもなんか一人で話しかけづらいから 「いや、いいよ、ありがとう」 といってその場を離れたら先ほどの女性が話しかけてきた。 この人の職業が変わっていて、スピリチュアル系のマッサージ師。 学生の頃、セラピスト系を学んでおりそのときから異端児として名を馳せていたらしい。 で、無料でやってもらったんだけれども、正直、う~ん、なんだろう、適当な占いですね。こうゆう需要があるのは知っているのですが。

パーティーはモンスーンのときは行われていないらしく、今度は繁栄期に期待と思います。

コルカタ

その昔、あまりの汚さにカルチャーショックを受けるといわれていたコルカタ。 サダルストリートは浮浪者が溢れていたといわれていたが今はその面影もない。

マザーテレサハウス

ボランティアができることで有名。日本人旅行者でも結構行く人が多いが、ボランティア慣れしすぎていてお金を請求されたり、孤児の世話をしても横柄な態度を取られて頭にくるといっていた日本人男性がいたが世話を受ける側が常に人格者でありがたく世話をされるわけではないのだ。

ビルラープラネタリウム

席に座っていると左隣の男性の貧乏ゆすりがすごくてジェスチャーでやめてくれと頼む。 プラネタリウムが終わると右隣にいた英語が堪能な現地の子供達が 「つまらないプレゼンテーションだったね」 と話しかけられた。その後、野外に出るまで雑談。母親と一緒にきているようだが、そちらは英語が話せないようだ。

レストラン

中華料理を食べていたら,皿になにやら昆虫らしき物体が。 よくみてみるとちいさなゴキブリだった。 もうほとんど食べてしまってから気づく。 日本だったらそこでたべるのをやめるところだが自分でもおどろくことに たべ続けたのだ。店員に皿を見せながら ”ゴキブリがはいっている” と文句を言うが、代金を2割ほどまけただけで ”次から気をつけるから” といって無料にしてくれなかった。 日本だったら無料なのだろうけれども、ここはインドだ。

ラダック

デリーからバスで行くことも可能なのだが冬のため積雪で空路でいくことに。 現地の旅行会社にいき片道チケットを購入しようとするが、店員から 「カシミールがすばらしいからそちらにいくべきだ」 「いや、でも紛争がよくおこるところでしょ?」 「最近は、紛争が起こってないから大丈夫」 「う〜ん、でもガイドブックに情報がないんだよね」 というやり取りをしてラダック行きのチケットを購入。 そしてこのあと、この判断が正しかったことに感謝する。もしカシミールに行っていたら

飛行機からラダックへ向かう途中、窓から見えるカラコルム山脈。 いくつもの山脈が層のように連なっている。これを昔の人は歩いて渡ってきただろうか。

1時間半ほどでラダックの空港につくと日本人男性に話しかけられる。 一緒に街までタクシーで行くことに。 まずはご飯。彼は、インドの大学院に通っている。日本のエージェントを通してなので結構な金額がかかっているそうだ。大学院の授業は英語で行われるが英語力が低いため講義の内容が理解できず無駄な時間を過ごしているように感じていると話してくれた。 周りにも日本人は彼ともう一人なのであまり楽しくないようだ、 そうやって考えるとフィジーでたくさんに日本人がいるというのは気の合う人と合う確率も上がるし授業がつまらなくても遊んでいればいいのでフィジーのように日本人が多い方がいいのかなという気もしてくる。

彼はガイドブックのロンリープラネットを持っていた。カシミールの情報が載っていたので印刷屋に行き印刷してもらうが、子供が間違って印刷してそれを指摘すると再度、印刷してくれたが、間違って印刷した分までお金の請求をしてきた。いや、それお前のミスだろ、と思うが疲れていたためか払ってしまった。

ラダックは標高3000M。なんだか調子が悪いなと思っていたがどうも高山病にかかったようだ。二日間ぐらいこの街でだらだらすることにした。

体力が回復したのでカシミール行きのバスを宿のオーナーに聞くと 「お前、ニュース見てないのか?昨日、銃撃戦が起こってバスは全部中止だ」 なんということでしょう。もしデリーからカシミール行きのチケットを購入、もしくは高山病にかからずバスで入っていたら内戦に巻き込まれていたことになる。 高山病もきっと何かの計らいで起こったことに違いない。 この経験から流されて生きる術を学ぶ。

カシミールにはいけないのでゴンパ(チベット寺院)をみるためにバスのチケットを買いに行く。バスが止まっているので聞いてみると値段がカシミールに行く値段と変わらない。途中下車するのだから、と言っても聞かない。外国人料金と思われるが、このバスしか方法がないのであちらも強気だ。しょうがないので相手の言い値で購入。

次の日、バスに乗り込む。走っている途中で停車するたびに乗車してくるが明らかに定員オーバー。通路にみんな座っている。先日、カシミールで内戦が起こったばかりなので、私が乗車しているバスで自爆テロが起こったらどうしようと心配してみるが、杞憂に終わった。

ラマユル・ゴンパ

宿の近くで祭りが行われている。 現地の老婦人はヤギの毛のついた皮を羽織るのがここの民族衣装っぽい。 かっこいい。 ほしい。 でも確実に税関で没収されそうな感じがする。

宿に戻ると食事を作ってくれた。 火をたくのに牛の乾燥したフンを素手で掴んで暖炉に投げ入れているが、その手で野菜を切り出し料理しているのはさすがに辟易した。 とはいえ、おいしくたべ、お代わりしましたけれどね。 料理をしていたおばあちゃん、私が宿泊客だからやさしくしてくれるのだが、すぐ近くにいる孫?の女の子にはきつくあたり、あれを取ってこい、あれをしろと横柄な態度を取っていて、ちょっと見ていて嫌な気分になった。あれは孫ではないな。

庭に井戸水?が蛇口から出っ放しになっている。高山地帯で水は貴重なのでなんでこんな無駄なことをしているのか不思議だったが、冬は水を出し続けないと凍ってしまい使えな行くならからだそうだ。う〜ん、水が貴重なのに凍らせないために無駄にする。この矛盾をなんとかしたいな。

次の日、ゴンパに向かうためミニバンに乗る。 チベット文化がチベットよりも残っていると言われているラダック地方。 チベットは中国に支配されてもはや壊滅状態だと言われている。 ゴンパを一通り見学して、帰りのバスがどこからでているのか教えてもらった後、 「ペン」 とひとこと。日本からいらないペンを大量に持ってきていたのでそれを一本あげることにした。

ブッダガヤー

仏教の聖地。 白人の修行僧は目立つ。ここは日本語学校があるため、日本語で話しかけられ不快な経験をすることがあるが、まぁ、インドはどこもそんなものだとあきらめましょう。

周りには寄付を募る団体が多いため、子供達のために学校をという名目で寄付を求められるが、本当にその寄付が正しく使われるのか心配。寄付しないで出て行ったら、 「バカな日本人!」と大声で叫ばれた。

マハボディー寺院以外には別段みるものはない。 ブッダガヤーからガヤー駅までバイクタクシーを利用しようとすると、祭りのため大渋滞。 乗車料金も祭りのため特別料金になっており、そんなのを払うのは癪なので、歩いていった。その距離16Km。バックパック背負ってはきついね。

プリー

インドの沈没地帯として有名なところ。そんなに居心地がいいのかと期待していたが、私の趣味ではなかった。海はそんなに綺麗ではないし、みるものも別段ない。 ヒンドゥー教の巡礼地のため、怪しい団子状の食べ物が店先に売っていたりするが、怖くて食べることができない。

宿にいるとオーナーから同じ宿に住んでいるドイツ人などを紹介されるが目がおかしい。 どうもドラッグのやりすぎで気力がなくなっているようだ。さすがプリー。 あまり長居したくないな。

車海老を出してくれる飲食店にいく。食べて見たがどうも冷凍保存しているようで、あまり美味しくない。インドの物価指数からいってもけっして安くない食事だっただけに残念だ。

インド

高校生の頃、「ねこぢる」のエッセイを読んでからというもの、いつか訪れたいと思っていた国。

初めてのインドは就職が決まったのは22歳の五回生のとき (1年留年しているから) このとき何を思ったのか往復チケットのみを購入して個人旅行を行った。

初めての個人旅行。 書籍などを購入して事前準備を行うが、バックパッカースタイルで旅行している人は周りにいないので不安だけが大きかった。 昔みたドラマの沢木耕太郎深夜特急やエッセイ漫画が頼りだが本当に自分にこれと似たような生き方ができるのだろうか

デリー

この当時、台湾でサーズが流行っていた。 台湾経由でインドのデリーに着く予定であったが、日本から台湾への飛行機はガラガラ。 数えるくらいの乗客しかいない。 もし台湾でサーズに感染したらマスコミに殺されることを考えると致し方ないのかな。 ところが台湾からインドへは満席になる。 これだけ台湾人がいると一人ぐらいサーズ保持者がいるのではないかと疑いたくなる。

デリーの空港には深夜に到着する。 入国審査で申請書を書いていると日本人男性から 「この申請書にあるこの単語、なんて意味かわかります?」 と聞かれたが、この当時、英語力0の私にわかるはずもなく、答えることができなかった。どこのホテルに泊まるのかと聞かれたのでガイドブックに記載されているドミトリーの宿に泊まる予定だと話した。 後で知ったのだが、その男性はそのあと、私と一緒になるためが、その宿に泊まっていたらしい。

ガイドブックの危険情報に夜のタクシーは危険と書いてあったので、 支持通り空港内で朝まで過ごすことにした。 周りを見渡すと男性一人女性一人ベンチに腰掛けているのが見える。 私を含めて3名が朝まで待機するようだ。さっき話しかけてきたお兄さんはいない。

あまりにも暇なので両替を行う。 一般的に空港内の両替はレートが悪いと言われているがそんなこと知らないバックパッカー処女の私は1万円でルピーを購入。 結構の厚さのお札がきた。枚数をちょろまかしていないか確認しようと数えるが、普段お札を数え慣れていないためぎこちない。 それを見かねた両替所の男性が代わりに数えてくれた。

朝までフロアーに横になって仮眠を取ろうとするが寝ている間に腰巻の貴重品が盗まれるのではないかと不安で眠ることができない。 今ならば空港内にコソ泥がいる確率は低いので平気で寝ることができるが、このときは全ての現地人が金銭を狙っているのではないかと疑っていた。

朝になり他の日本人二人と一緒に空港から出ることにした。 男性の方が高学歴らしく英語が堪能だ。以下、高学歴くんと呼ぶ。 女性は最近、ひとり旅を始めたばかりらしい。この子は神奈川出身なので以下、神奈川ちゃんと呼ぶ。

タクシーは悪徳旅行会社に連れて行かれて危険なのでバスで行くことに。 空港内で働いている人にバスはどこから出ているのか聞いてあっちだと言われていくと ある現地人がこれがバスだと話しかけてきた。 どうみてもバスではなくミニバンだ。個人タクシーだと思って、 私が「これは違うから」 「これはミニバスだ!」といって譲らない。 相手にするのも無駄なので無視して行くと、高学歴くんが 「さすがですね。自分だけだったら信じてそのまま乗ってました」 なんて純粋なのだろうか?基本他人を信じていないスタンスの私とは違うタイプなのだと思う。きっといい人なんだろうな。

騙されそうになった場所から少し歩くとバスがみえる。 コンポートプレースまでいくのか確認して乗車。 車窓から言える形式に高学歴くんは 「インドっぽい景色ですね」と興奮気味だ。 私はタイの風景にどことなく似てるなと思いながら車窓を眺めていた。

コンノートプレースに到着。 ここから安宿街のニューデリーへ歩いて移動。 高学歴くんが泊まる予定の宿に向かうがその間、現地人がものすごい勢いで話しかけてくる。なんてうざい国だ。

目的の宿につき、女性はシングルに、私と高学歴くんはダブルの部屋で一緒に寝泊まりすることになった。当時、500円しなかったと思う。インドとしては綺麗な方だ。

高学歴くんが鉄道のチケットを購入したいらしく駅に向かう。 チケットの購入場所は2階にある。 しかしそこに向かう階段に現地人の妨害にあう。登らせてくれない 今掃除中だからここは通れないと言っている。 どう見ても掃除をしていないのいったいなんなのだろうか? そうこうしている間にチケットを俺から買えという男性が現れる。 明らかにおかしいのでその人を無視し時間をおいて再び階段へいくと先ほど邪魔していた男性はいなくなり、外国人専用の窓口に行くことができた。 なんなんだこの国は。チケットを買うのにも一苦労だ。

食事をする。カレーしかない。 高学歴くんはカレーを食べるなり、スパイスが合わないといい、 それ以来、デリーにあるマック、KFCのみ食べるようになる。

高学歴くんがガイドブックに記載されている旅行会社に行きたいというのでついて行く。 私はこの後、ヴァラナシへ飛行機で行くことが決まっているためツアーは不要なことを伝えると。 旅行会社の人が 「ジャイプル、アーグラに行かないのはもったい」 となんとか私をツアーに申し込まさせようとしたが、神奈川ちゃんが断りの加勢してくれてその場を後にする。

オフィスを出て、ふらふら歩いていると空港で申し込み用紙の書き方について尋ねてきた男性と出逢う。日本ではフリーターをしているらしい。 飲食店に入りみんなでチャイを注文する。 生まれて初めて飲んでみたが激しく甘い。歯が溶けそうだ。 飲み終わった後、口が寂しいのかフリーターさんはテーブルの上にあった砂糖の入れ物から指で一つまみし、口を上にして指をこすりながら砂糖を口に流し込んでいた。 (絶対、糖尿病になるだろ) 兄がプログラマをしているらしく30までフラフラしてるよならば、プログラマにしてやると約束してくれているらしい。 この当時、超氷河期と言われており就職が難しかったため、日本では仕事をクビになったという理由で自殺する人が社会問題になっていたが、 フリーターさんいわく、 「インド旅すればそんな考え方をすることはなくなるから」 と旅の重要性を説いてくれた。 この当時私は学生だったし、初めての個人旅行だったので疑うこともなく、そういうもんなのかなという感じに聞いていた。

フリーターさんからいままで出会った旅行者ですごかった人の話を聞くと デリーの空港から真夜中、歩いて安宿街のニューデリーまできた女性がいたらしい。 あの距離を夜、歩いてくるなんて・・・。 今の私でもそんなことは怖くてできない。

このあと、宿に戻りベットに横になると気がついたら寝てしまって夜になっていた。 フリーターさんの泊まっているホテルに遊びに行く予定だったがもう21時なので諦めることにする。ニューデリーを夜歩くことに関してはそれほど問題はないのだがこのときは万が一のことを考えて夜、外出することはさけた。

この宿に泊まっているという日本人夫婦に出会う。 私がワラーナスへは”久美子ハウス”に泊まる予定だと伝えると 「あそこは汚いからやめた方がいい。フレンズが綺麗でいいよ」 と教えてくれた。夫婦で世界中を旅行しているらしい。 そんな人がいることに感動していた。

次の日、私のだけデリーからバラナシへ飛行機を使っていくことになっていた。 やっぱり手配した個人タクシーで空港まで向かう。 空港に着くとドライバーからチップをせがまれる。インドにはチップの習慣がないのでお礼だけ述べて空港に歩いて向かう。ホテルから空港に連れて行ってくれるかどうか心配だったが杞憂だった。海外のことをこのときの私はまったく信用していなかった。

バラナシ(ワラーナス)

昔はヴァラナシ(イギリス読み)といったが、いまは現地の発音を尊重してワラーナスと呼ぶらしい。 デリからバラナシ到着すると日本人青年にであった。 話をしてみると日本から参加者は彼1人でツアーを申し込んだらしい。 彼のバスに便乗させてくれるように地元のガイドをお願いしていると、どうも地元のガイドは嫌がっているように見える。 個人ツアーくんがいろいろ交渉しているがどうもらちがあかなさそうなので、 トゥクトゥクのおじさんが 「日本人宿まで連れていくよ」 と声をかけてきたのでその人についていき個人ツアーくんと別れる。

トゥクトゥクのドライバーがバイクを止めて学生ノートを取り出してきた。 そこには過去の日本人旅行者が書いたと思われる、このおじさんは信用できます的な内容が書いてある。 初めてのことなので意味がわからなかったがこのノートを見せることで信用を得ようとしているようだ。 私も行きたい宿にいってくれとお願いするが

「シャワー からでる水が汚いため病気になってこの前、日本人が死んだ」

と嘘ばっかり言ってドライバーの進める宿に連れて行くと言って聞かない。 バックパッカー処女の私はその言葉を信じビビりながらも ドライバーオススメの宿へ連れていってもらう。 この時は、今なら考えられないぐらい人のいうことを信じていた。

ついたところは普通の宿。 ちょっと値段が高かったのでそこから歩いて目的の宿「フレンズ」に向かう。 右も左も分からない異国の地で不安押しつぶされそうになりながら宿へ向かう。 もうこの時の気持ちは 「このまま異国の地で死ぬのでは」 と本気で思っていた。あの感覚は二度と経験したくない。 ガンジス川のほうに向かって歩いていくと川が見えてきた。 路地で遊んでいる子供たちに「フレンズという宿どこかと」尋ねるとあっちだと教えてくれた。野良犬が暑さで寝そべっている間を歩いてやっと見つけることができた。

ドミトリーの部屋が空いているか聞くと1つだけベットが空いていた。 この時の安堵感といったらなかった。 ちょっと前まで死を覚悟していたのだから。

その部屋には女性1人と数人男性が泊まっている。 さすが日本人宿だけあって日本人しかいない。 生まれて初めてのドミトリー。どういう態度をとっていのか分からずかなり初心者丸出しのつまらない人間に見えてしまったため経験値の高そうな旅人風情の人たちから見下されているのがわかる。

荷物おいて部屋を出てガンジス川に向かう。ヒンドゥー教の聖地。 「ここに”ねこぢる”がきたのか」 というような感慨深いものは期待していたほどなく、ガンジス川が流れている風景は別段美しいわけでもなく、私の心には何も響くものはなかった。 あれほど来たかった場所だったけれども来てみたら大したことないな。

火葬場にいくことにする。川沿いで火葬したあと、灰を川に流している。 焼け残った足を野良犬くわえている情景を漫画でみたことがあるが実際その場で行って思ったのは多分それは作り話。あったとしてもかなり確率的に低いじゃないかなっていうのが実際に行った者の感想である。

意味もなく火葬場に眺めていると現地のおじいさんから親族でないのだから、あの塔から見学するように促される。階段を上ってどうから眺めているとそのおじさんが100ルピー渡せと言いだしてきた。何を言っているのかわからず怖くなって逃げるようにその場を去って行った。

もう怖くて怖くてしょうがなくてそこらへんにいるインド人がすべて敵に見えた。 宿に戻り精神的にも肉体的にも疲れていたのでひたすら眠る。

夕方、同じ部屋の人たちとガンジス川をカヌーで遊覧する。 この写真に写ってるお姉さん、先日ガンジス川で泳いだら衛生状態の悪い水を少し飲んでしまったため、1週間ほど病気で寝込んでいた。 私はあんな汚い川、入る気にならない。ガイドブックではせっかく来たので沐浴を進めているがとてもそんな気にはなれなかった。

レモンラッシー

お昼みんなでラッシー(ヨーグルト)を飲みに行く。 とりあえずレモンラッシーを頼む。甘くておいしいのだけれども衛生状態が心配だ。 店はお世辞にもきれいとは言えない。でもインドは大体こんな感じ。

サルナート

仏教の聖地。 バラナシから10Kmほど。バイクタクシーを使って訪れた。 観光客は私たちだけだった。閑散としていて観光地っぽくない。

一緒の宿に泊まっていた男性が 「明日、アーグラに行くから一緒に行く?」 と誘ってくれた。 旅行者として頼りない私を見るにみかねて誘ってくれたんだと思う。 いい人だ。もし一人で移動していたらどうなっていたのだろう。

駅へ行き明日の電車のチケットを購入しにいく。 窓口で購入しようとしていると停電になった。 すぐに電気が復旧したがパソコンを再起動してチケットの発券。 インドでは一日に何度も停電が起こるがシステムのデータは大丈夫なのか心配になる。 なんとかチケットの購入ができた。

インドでは電車が遅れるのが当たり前。 下手すると半日ぐらい発車しなかったする。 次の日、アーグラへ行くため駅に訪れたが電車が定時刻で発車してしまって乗り遅れてしまった。 遅れるのが当たり前だと言うマインドが裏目に出た。 しょうがないので明日のチケットを再度購入した。

宿へ帰ると一緒の部屋だった女性から 「待ってたよ」 と嫌味を言われてしまった。

次の日、今度は遅れないように早めに出発する。前回はリキシャを使ったが今度はバイクタクシーだ。今度は乗り遅れなかった。そしてこの日も電車が定時に出発。夜行の寝台列車でアーグラへ向かう。

インドに来てから下痢にもならずにいたが、この電車の中で下痢になってしまった。 電車の中のトイレは汚く正直使いたくはないが致し方ない。

アーグラー

日本人6人でゾロゾロ移動。泊まるホテルが決まっているらしく私はそれについて行くだけだった。なんてホテルだか覚えていない。宿の人が100ルピーでバイクタクシーに乗せて街を案内してくれることになった。

この当時、デジタルカメラが発売されたばかりで現地の子供たちをデジカメで撮って、 その場で画像を見せると初めてみたようでとても喜んでいた。

タージマハル

現地人は安い入場料だが、外国人は別途外国人料金を取られる。 世界最高の建築物と言われているタージマハルですが私はあまり感動しませんでした。

アーグラ城

宿に帰るか具合が悪い。ゲリが止まらない。30毎にトイレに行くような有様だ。 宿の人が気を効かして薬を利用してくれた。 ヨーグルトに灰色の粉末が振りかけてある。この粉末の薬がまずくて半分残してしまった。

ところが一晩寝るとこの薬のおかげで具合がよくなった。 ところが下痢止めの効果もあったらしく便秘になってしまいこの後のインド旅行中、大便が全く出ないことに。 これが後々大問題になる。

そして電車でデリーに帰る。

再びデリーへ

デリー駅に到着。階段を降りるとき転んでしまった。 これまで嫌なインド人にあってイライラしていたため 「むかつく」と大声で叫んでしまった。一緒にいた日本人は、何も言わず歩き続けている。このとき、すべてのインド人が騙そうとしていると本気で思っていてインド人不信だった。

見慣れたニューデリーへ戻ってこれた。 もしみんなの助けがなくて一人だったらどうなっていたのだろう?

泊まる宿は決まっているようで、みんなの後についていく。 あと2泊すれば日本へ帰れる。早く帰りたい。 迷いながらも宿に到着。 案の定、一番安いドミトリー泊まる。 ベッドのシーツはたくさんのしみで汚い。 シャワールームもサビがひどく蛇口がサビていてシャワーを浴びた後、手が汚れる。

宿の前にお土産屋さんがあったのでシーツを購入。500円ぐらい。 現地の人に値段を聞いてみたらぼったくられてると教えてくれた。

宿の前に日本人女性がいたので話しかける。 一人で旅行しているようで、私たち日本人男性がゾロゾロチェックインするのをみて 「男はつるむよね」 となぜ海外に来てまで日本人と一緒にいるのか理解できないようだった。 このときはわからなかったけれど、今ならこの娘の気持ちがわかる。

外に行くのが怖くて昼間は宿の近くを1人でプラプラするぐらい基本何もしていない 同じ宿に泊まっているガチムチの日本人男性に話しかけられた。

このガチムチさんは1年以上海外を一人旅しており数日前アフガニスタンから帰ってきたばかりだという。 アフガニスタンはこの当時、白人はテロリストに殺されていたが 日本人をまだ誰も被害にあっていかなったためインドのアフガニスタン大使館に行くとピザがもらえ渡航できた。

アフガニスタンで撮影した写真をみせてもらい、そこがどれだけ綺麗だったか、 そして飯がまずく、英語が全く通じないなどいろいろ教えてもらった。

1年以上、旅し続けるという人に私いままで出会ったことがなかったので羨望の眼差しでこの人の話を聞いていた。 「それだけ行動力があれば日本に帰っても何でもできますね」 という私に対して淡々と

「何もできないよ。日本に帰ってこれから就職が決まっているあなたのほうがよっぽどすごいから」

その時は何を言っているのかわからなかった。 謙遜かとも思ったが今の私なら彼の言いたいことがわかる

"旅をしても何も変わらない”ということを

次の日の夜の便で日本に帰国。 ホテルで用意してもらったミニバンに乗り込み、空港に連れていってもらう。 その時、ヴァラナシから一緒に行動していた男性からプレゼントに植物のタネをくれた。 絶対に関税で問題になるだろと思い、空港に降りる際にミニバンにおいていった。

空港に到着すると日本人女性に話しかけられる。

彼女はインドで日本人を始めてみたらしく、それで話しかけてきてようだ。 ヴァラナシにもいたらしいがずっと外国人ばかりだったそうだ。

病気

帰国してから大変だった。 インドで飲んだ下痢止めのせいで体内にウィルスが蔓延してしまったらしく 強烈に具合が悪い。 夜は苦しくて眠れずいままで経験のないレベルの苦しさだ。 サーズだったらどうしようという不安が頭をよぎる。 とりあえず近所の病院にいくも看護婦さんがサーズの疑いがある私に近づこうとしない。 医者の診察を受けるとサーズではないらしく抗生物質をもらって飲む。 飲んだ直後の1時間は楽になるのだがそれ以降は全く効かない。さすがインドの菌は違います。 三日三晩死にそうになりながら家で過ごし、なんとか回復。 あんな思いをするのはこりごりです。 下痢になったらとりあえず体が菌を排出しようとしているのだから無理に止めてはいけないということを学んだ。それにしても文字通り死ぬほどきつい授業料だった。

服装

ビルケンのサンダルに靴下。 この当時は変だと指摘されましたが快適です。

汗は乾燥しているのですぐに乾きます。

 

ニュージーランド(ワーキングホリデー)

オーストラリアに続き、ニュージーランドでワーキングホリデービザを取得。 話に聞いていた通り仕事は多くない。 あとで知ったがニュージーランド人がオーストラリアに出稼ぎにいくそうだ。 とはいえ、行ってみないとわからないので3000$を資金に入国してみた。

オークランド

とりあえず、ゴミ情報を集めるため日本人宿にいく。 過去の経験から日本人の持っている情報は役に立たないことが多いため それを知っておく必要があるのだ。 その宿につくと日本人が至る所で掃除をしている。 あれは、フリアコだな。 (フリーアコモデーションの略。1日数時間ホテルで清掃作業を提供することで無料で宿に寝泊まりすることができる)

適当な日本人に仕事について聞いてみると、ここから北に位置する街で農作業の仕事があるらしい。 みんなその街の名前をあげる。そこに行ったら低賃金で働かされて、古株の日本人に偉そうにされるのは目に見えているのでそこは除外するべきだなと判断。

一緒の部屋になった北海道出身の巨体な男性。 学生の頃、ラグビーをやってそのまま社会人でも続けていたが 美容師にキャリアチェンジした人。

「泊まった日に日本人が部屋のドアをあけて俺の顔を確認してから何も言わずに去っていった。たぶん、どんな日本人が来たのか確認したかっただけなんだと思う。」

このように長期で住んでる日本人が多い宿は不愉快なことが多い。 例えば、ここでフリアコの男性にちょっと話しかけると従業員にも関わらず ものすごい高圧的な態度で接してきた。 「俺に慣れ慣れしく話かけないでください」と言われた。 フリアコでも仕事を持っている方、長く滞在している方がえらいという感覚があるのでこのような態度になったと思われます。 あの時、殴っておけばよかったなw。 今思い出しても頭にくる。

パーネル&ニューマーケット

おしゃれな地区ということで行ってみたが、期待したほどおしゃれではなかったです。 お腹が空いたのでガイドブックに載っていたフィッシュ&チップスが美味しい店に入る。 実はこの時、生まれて初めて食べたのですが、う〜ん、まずくはないが油の質の問題なのか食べ終わった後の感じがあまりよくない。これで2000円近くするのは高い。 オーストラリアに1年半もいて食べたことなかったのはこの値段のせいだ。 私にとって一週間分の食費ですから。

ロトルア

とりあえず仕事を見つけるために移動してきたが、ここでも有益な情報は得られなかった。本当に小さな街で観光する以外何もないように思える。 宿に日本人女性らしき人が泊まっていたがどうも日本人を見ると拒絶反応がでてしまって仲良くできない。日本語を話したら負けだと思っているんだろうな。

ワイオタプ・サーマル・ワンダーランド

温泉の噴水、不思議な色をした温泉湖?をツアーで見学する。 値段も25$ぐらいで安いので参加してみると思いのほかおもしろかった。

タウポ

バンジー、スカイダイビングをやりたくてこの街に来た。 1日でこの2つを経験したことを宿であったイギリス人の中年男性に話すと 「アドレナリンジャンキーだな」 と批評される。彼は個室に泊まっており理由を聞くと瞑想を行うためだそうだ。

バンジージャンプ

60$ぐらいした。ロープの長さを調整して川に顔をドボンするかしないか選べる。 とりあえず川に入る方を選んだ。 ロープは大量の細い紐をまとめて作ってある。一つ切れても他の紐が保管する設計のようだ。なるほど、よくできている。

飛び降り台の上に立つ。かなりビビる。飛び降りるまでに時間がかかると想像していたが以外にも飛び降りていい合図が来たら1秒後には台から離れていた。

「うっきゃ〜〜!」 と変な叫び声で川に飛び込んでしまった。かなり恥ずかしい。変な叫び声で周りの空気がいっぺんしてしまったのがわかる。 川に顔が入りそのあと3、4回ロープが上下にビヨ〜ンと動いたあと、待機していた小舟に乗せられる。まぁ、こんなものか。 2回目以降は割引料金になるけれど、一度経験すれば十分です。 ちょっとコストが高いと思います。

スカイダイビング

120$ぐらいだったと思う。結論から言うとバンジージャンプをやるぐらいならこっちの方が断然おもしろい。 万が一死んでも文句を言いませんという同意書を書くとき 「どれぐらいの確率で死ぬの?」 「1万回に1回かな?最初のパラシュートが開かないとセカンドパラシュートを開くから大丈夫だよ。」 「もし開かなかったら?」 「Big problem」

実は、高所恐怖症で、なおかつ小心者なので小型機に乗るまでナーバスな雰囲気をかもしだしていました。それをさっちしたインストラクターが気を利かせたのか一番最初に飛び降りることになった。 どうもビビっている人を最初にするマニュアルがあるのだろう。

小型機で空中旋回を繰り返しながら高度を上げていく。1万2000フィートだったかな?富士山と同じぐらいの高さまでいく。 もうずっと緊張しっぱなし。 もしパラシュートが開かなくなって死んだらどうしよう、の考えが頭から離れない。

ドアを開いたと思ったら、いきなり飛び降りた。 「心の準備なしかよ」 パラシュートを開かないフリーフォールが40秒間行われる。 飛び降りた瞬間は恐怖心が大きかったが1秒後にはそれが興奮にかわる。

「おもしろい!」

フリーフォールの間、キャーキャー言って楽しんでいた。こんなに興奮したのは記憶にない。そして眼下に見えるタウポ湖の大きさと美しさがすばらしい。 そのうち、パラシュートが開く。 よかった、ちゃんと開いてくれた。これで生きて帰れる。 インストラクターからパラシュートを持つロープの使い方で左右に旋回、前方移動の方法を教えてもらう。 なるほど、こうやって操縦するのか。 前方移動はスピードが出るのでちょっと怖い。 もっと遊びたかったがインストラクターが地上に降りるように操縦してしまった。

一緒に参加していてた白人女性と「いや〜、これ超楽しかったね」と話しながらオフィスに戻る。十人ぐらい集まるが会話が盛り上がらない。 たぶん、これ私のせい。どうも雰囲気を悪くしてしまうのだ。

オフィスでは私たちがスカイダイビングしているが映像が流れている。 欲しい人は購入結構な値段を出してDVD購入できる。もちろん私はそんなものにお金をだす気はない。

トンガリロ国立公園

ネットで見つけたホテルの清掃作業。お金はもらえずフリアコのようだ。 早速メールをするとすぐにきてといわれる。

ファカパパ・ビレッジの宿に泊まりレセプションで働く予定の宿の話をすると 「あぁ、あそこか」と言う感じで電話してくれた。 待っていると小太りの白人女性が迎えにきてくれた。 そこから20分ぐらい車ではしり何もないところにポツンと合宿所のような場所がある。 周りはなにもない。

まだ30代と思われる白人男性がここのオーナー。 最初の仕事は水やり。とりあえず植物に水をやることに。 10分もするとやることもなくなってしまった。その間、何もすることもない。 従業員もどこにいるのかわからない。 なんだこの放置プレイは・・・。

どうもあまり人と積極的に関わるタイプではないようで、白人にはめずらしいタイプだ。 おとなしいと言うわけではないのだが、気の合わないタイプには冷たいらしい。

2時間も作業するとやることがなくなる。ここは楽チンだと思っていたら 次の日から一週間、校外学習と思われる子供達が来た。 ここからが大変。大量の食料を洗う、切る、煮る、盛り付ける。 一日中働かされた。これで無料はやってられないと思い文句を言うが、この子たちがいなくなったらやることなんてないんだから我慢しろ、と言われる。 意味がわからなかったが、そのうち納得した。

子供達がいなくなると泊まりに来るのは仕事で来ている木こりの男性二人組ぐらい。 部屋の掃除も1部屋と少ないのですぐに終わる。確かにやることないな。オーナーが怒った理由もわかるが、来たばかりの私にわかるはずもない。

数日後、スイス人女性がやってきた。やけに他の従業員と仲がいい。 数年前にここで働いていたらしい。そのせいか宿のインターネットを無料で使わせてもらっているようだ。私は毎回1時間、数ドル払っているのに・・・。 不公平だ。二週間もするとこの女性(名前忘れた)はいなくなり、 代わりにフランス人女性がフリアコでやってきた。

この子も作業を指示をされ、それが終わると何もすることがなく放置されていた。 過去の私と同様、戸惑っているようだ。

「ねぇ、掃除終わったんだけれども、このあとどうすればいいの?」 「あぁ、なにもしないでいいよ。どうせ何もやることないし」 「なんか私って嫌われているのかな?なんかあまりみんなに構ってもらえないんだけれど?」

言いたいことはわかる。 前のスイス人女性とは仲良くしていたのに、私とフレンチ女性とは仲良くしないのは推測だが、英語でコミュニケーションがとりづらいからではないかと思う。このフレンチもあまり英語が得意ではない。会話するのが面倒なのだろう。

フレンチが来てから数日経つが、相変わらずの放置プレイ。 宿からバスでNZで最も有名なトレッキングコースがある。ここに連れて行ってくれるバスが来ると聞いて待っていたのだが、一向にこない。 私はもうこの手のNZサービスの低さに慣れているのでもうなんとも思わなくなってしまったのだが、フレンチは 「ねぇ、なんでバス来ないの?今日、この宿にバスが来るって言ってたじゃん」 「まぁ、ここはNZだからね。まぁ、また今度でいいや」

そんな不愉快なことがつづきフレンチはある日、頭にきて荷造りを始め出した。 「みんな私に話しかけてくれない。トレッキングもできない。前の宿では私がきたらパーティを開いてくれたりみんなでワイワイしていたのに、そうゆうの全然ないじゃん、なんなのここ」 いいたいことはわかる。確かにここはおかしい。私でさえそう思う。 あまりにも選り好みが激しすぎる。そういって彼女はこの宿を出て言ってしまった。

数日後、今度はイスラエル人中年男性がきた。 こんなヘンピなところに結構、人が来るな。北野武の「HANABI」の話など日本の映画、文学にも詳しいらしくその手の話をよくしていた。 ある日、「日本人は中国を植民地支配した」と避難してきたので 「おまえらイスラエルだって土地を盗んだままだろ」 「もう私たちは住んでるからしょうがない。今から全員出て行けと言うのか?」 「じゃぁ、なんでいまだに領土拡張してんだよ!」

とリビングを掃除しながら英語でディベートが始まる。 そんな光景を宿泊客は不思議そうに眺めて関わり合いを避けようと見て見ぬ振りをしている。

とまぁ、いつも「なぜ捕鯨するんだ?」とかで口論になったが、別に仲が悪いわけではない。日本人相手だったらこうはいかない。とはいえ、やっぱりイスラエル人は好戦的で困る。人のことは言えないが。

ペンキ塗りをする。宿の屋根をペンキで塗っていくのだが、一回塗って終わり。 普通は、五回に分けて層をつくることで雨漏りなどを防ぐのだが素人だからわからないのだろう。とりあえずベッタリ塗るように支持される。

数日後、NZ人のレベッカがきた。 数日前にオーストラリアへ仕事を探していたがみつからずこちらに戻ってきたそうだ。 こいつがすげー働く。全く休まない。いままでの私の白人観を覆された。 「なんかめちゃくちゃ働くけどキュウイ(ニュージーランド人)はみんなそんななの?」 「うーん、前に工場で働いていたとき、一生懸命働くって褒められてたから」

どうもこの子は特別のようだ。従業員からはベックと呼ばれている。 最初誰のことがわからなかったがレベッカを略してベック。 たいして短くなってないし。どうも、名前を省略するのが普通らしが、身長が低い男性には短くしてはいけないらしい。差別になるからとイングランド人が言っていたがその方がよくないのでは。みんな名前を省略して呼ぶのに背が低い人は省略されないんですよね。

ベック、イスラエル人はベジタリアンだ。校外学習の子供達をお世話した時も10人に1人はそうだった。想像以上にたくさんいるなとこの時は思っていたが、まさか自分がベジタリアンに将来なるなんて思ってもみなかった。

トンガリロ・アルパインクロッシング

ロードオブザ・リングで撮影に使われた場所。 みたらあぁ、あそこのシーンかとわかるはずです。

2200Mあたりになると風が強い。ある人は風に向かって倒れようとしますが風が強くて倒れないのを楽しんでいました。

トレッキング中、クロックスの靴を履いていたため、抜かしていく人から 「えぇ!!!クロックス!」と驚かれました。 そのうち「へぃ、クロックスガイ!」と読んでもらえるくらい覚えてもらえましたがこの後、大変なことに。 標高2200M、17Kmの工程。 残り3Kmぐらいで膝が痛くなって歩けなくなった。 持病の膝が・・・。 なんとか足をひきづりながら帰路につくが、これ以来、トレッキングシューズ、ポールを携帯しようと心に決めるのでした。 いまだに膝が治らんです。

ウェリントン

NZの首都。首都はオークランドだと思っていました。AUSもシドニーが首都だと思ってたので、どうもここら辺の国は勘違いさせられるが何が原因なのだろう。

首都だけあってビジネス街の風貌を備えているのですが、記憶がない。 どうもこの手の都市は合わない。

通りでインド人女性が宗教の勧誘をしていた。 「インドに留学したいんだけどどうすればいいかな?」 「直接行けば学校いっぱいあるから大丈夫だよ」 「まじで?」

この言葉を信じて日本へ一度帰ることに決める。 次はインド留学だ。

クライストチャーチ

地震により破壊された街は数年たっても回復していない光景をみて、日本だったらすぐに復旧するのにと日本人だったら誰もが思ってしまう。

ここから日本へ帰国。何をしていたかと言うと街をふらふらして図書館で勉強。 今考えるとおかしな行動しているな。いつも英語の勉強をしている。 次はインドで留学だからね。

カンタンベリー博物館

入場料無料の博物館。巨大イカのホルマリン漬けがあるが、保存状態がよくないのか頭部、足がボロボロに剥がれている。

インド留学に向けて日本へ帰国。滞在期間3ヶ月間。自然は綺麗だった。お金は一銭も稼いでいないがまぁ、よしとしよう。